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生活のバランス
日々の生活においてバランスが大切な事は周知の事実だろう。痛み・苦痛はバランスが崩れてしまったことから起こる。体の痛み、心の痛み、その原因はアンバランスである。
子供を育てて親になる。親になってもアンバランスのままでは子供にアンバランスを植え付けてしまう。ほど良さを学ぶには何がアンバランスかを知らないと行けない。

体が冷え過ぎる。逆に体に熱が溜まりすぎて暑くなる。アンバランスが起こる。それをいかにして整えるかは、リラックスしてバランスを整えることから始めないと行けない。弛緩である。体の弛緩、心の弛緩である。

3畳間に100インチのテレビは必要ない。単に買って置く事だけならできるが、それを適切に使う事は出来ない。どうやって画面全体をゆったりと見ることができるのか。

一人暮らしに50万円もする大型冷蔵庫は必要ない。単に買う事はできるが、利便性の高い街で生活するならば、より新鮮なものを頻繁に店舗で購入して食した方が効率がはるかに良い。

さて、生活のモノのバランスもさる事ながら、人間関係のバランスも大切だろう。



人間関係のバランス
以前おもしろい記事を目にした事がある。
ある有名女性モデルと付き合い始めた一般人男性がいた。そのモデルと正式に結婚する事が決まり、まもなくマスコミが彼の会社、自宅、通勤路等に張り込み、彼にインタビューをし続ける事になった。その執拗さに驚いたその一般人男性はその女性モデルとの結婚を破談にした。その後そのモデルは涙ながらにインタビューに答え、「彼がそんな人とは微塵も思わなかった、悲しい」と言った内容を話していた。

実に面白く興味深い出来事である。人間関係のバランスが全く取れていない。私は男のせい、女のせい、どうのこうのという三流記事を書こうとは毛頭思わない。
まず面白いのが、そのモデルと結婚しようとした一般人男性のとった行動である。相手は有名モデルである。美しいところには常にハエが群がっている。それが世間の常なのだ。過剰にある所には常にお余り頂戴軍団が群がっている。週刊誌などはすべてその手で成り立っているのだ。そんな事今時なら幼稚園児でも知っている。その美しいものを自分のモノにしようものなら、それに群がっているハエもいっしょに自分のモノにしないといけない。当たり前である。それが全く分かっていないのだ。その一般人男性は愚かにも、美しいモノ「だけ」を手に入れる事ができるとでも思ったのだろうか。つまり「このような有名な人と結婚すればどのようになるだろうか」とちっとも想像できなかった訳だ。子供みたく「やった!人もうらやむ美人を妻にできる、それは俺がイイ男だからだ、貴様らにはそのような運はないだろうが、どうだ、どうだ、しっかりうらやめ!」と本音では感じていただろうし事実そうだ。有名女性モデルに出逢う仕事を選べた運の良さ、彼女に想われ結婚できる運の良さは万人には与えられていない。その一般人男性は圧倒的に強運だった事は全く否定できない。しかし不幸にしてその一般人男性は有名モデルを妻にするには余りにもアンバランスだったのだ。

つぎに、その女性モデルのとった行動である。
間違いなく言える事は、彼女は「自分自身がどれほど魅力的な女性」であるかを自覚していないのだろう。とかく男でも女でも美貌に優れた人たちは「当人たちの美しさの自覚」がない場合が多い。過去でも色々な芸能人たちが再婚時に「とんでもないお相手」を選んだ例は多い。「とんでもない若き新妻」を選んだ二枚目有名男優達は、その下品な新妻のために彼らの品格を大いに傷付けられた。その後まもなく命を落としたり、変死する事などもままある。
話を戻すとその女性モデルが破談後に彼のことを「そんな人とは微塵も思わなかった」と言った事が印象深い。ちょっと待ってほしい。モデルである彼女が美しい故に当然群がるハエがいて、そのハエも彼が当然気に入ってくれるだろうと信じていたからこそ結婚を決めたのだろう。しかし実際は彼はハエを気に入らずに破談にした。「そんな人」とはつまり最初から彼女を気に入っていなかったのだ。なぜなら、ハエと彼女は常にワンセットなのだから。彼女の魅力はハエが持っているとも言える。静かに暮らす事など馬鹿げている。

絶対的な強運とは存在しない。アンバランスのままで存在できないのがこの世である。
美しければ美しいほどハエが群がる。また自分の魅力を自覚せずに平気でその魅力を損なう事をしてしまう。それがバランスを取っているということなのだ。うまく行くというのはそれより以前に上手くいっていない状態が続いているから発生するのである。

単車に乗ってコンビニにバイトに行っている茶髪ピアスのアンちゃんが200万円のスイス製の時計を身につけて腰にチェーンをジャラジャラさせていても、誰もそれが200万円する品とは思えない。仮に高そうに見えても、中古か、もらい物か、さもすると誰かから、かっぱらったとも見られるかもしれない。バランスが大切なのだ。

人間は、その人自身の最も低い品格ですべてを計られる。


せっかくのスイス製高級腕時計も50ccバイクと腰からぶら下がる汚げなチェーンという「最も低い品格」で200万円から百円均一の腕時計にその価値が下げられる訳である。逆を言えば、200万円の時計の価値はアンちゃんチェーンレベルの汚さに落ちているといことであり、すでに200万円の価値は全くないという事だ。



よく行くオーディオショップの駐車場にとんでもない高級車が停まっている事がある。その日は駐車場の二台分のスペースにバーンと停まった黒塗りの車があった。


店の中に入るとイカツイ感じのオッチャンはいなく、店員しかいない。変だ。
当分店の中をうろついていると、うつむいた暗い感じの男性が虚ろな目つきでキョロキョロしながら高級オーディオ売り場をウロウロしている事に気がついた。なぜか妙にビクついている。その横で店員が色々説明している。その説明がまあなんと幼稚、幼稚。私はため息が出た。会話の後の丸括弧は私のコメントである。

店員:「お持ちのBWなら、ま、300万するスピーカーですから、このくらいのアンプで鳴らさないとダメですよ」
(値段よりも音を聴かせてから説明しろって!!)

うつろなオッチャン(以下うつオジ):「それだったら大丈夫でしょうか」
(なんでお前が買うのに店員に大丈夫って聞いてるの?お前が好きな音を買えばいいんだから)

店員:「ま、妥当ですよ。バランスが大切ですからね。」
(いやいや、製品同士の値段のバランスよりも、色々音を聴かせて、その違いが価格相応に分かるかどうかを本人に判断させろ!)

うつオジ:「どんな音がしますか?」
(だから!!お前が店員に聞くなって!!店員の耳はお前の耳じゃないの。典型的なカモだな、あんた)

店員:「だいたい低音が出過ぎて、音がこもりがちですからね。このアンプに変えたら一気に解決しますよ。」
(まあ、第三者の私が見ても200万円近い出費でそれが解決するのは分かるが、それよりももっとしなくてはならない事ないの?)

すかさずメーカー派遣の売り子(営業マン)が、がなり始めた。

売り子:「表の黒塗りの外車はOOさんのですか?」
(なんで、いきなり車の話をするんだ、この営業スマイルバカは)

うつオジ:「(なぜか、うつろに)ええ、そうです、先月来たばっかです」
(あ〜あ、ハメられたな。嬉しそうにうつろに答えていやがる)

売り子:「なら、このデジタル機器を買ってくださいよ、あんな高級車お持ちなんですから、CDプレーヤーとダックに300万円なんて安いじゃないですか」
(おえぇぇ、なんだよこの売り方は!!昭和かよ。まあまあ、成金馬鹿相手の良い営業マンだこと。あんたの会社のブランドは地に落ちたな)


うつオジ:「どんな音がしますか?」
(だ・か・ら!!質問するな!!馬鹿が。いいかアホ、一言でいいから「試聴させてくれ」と言え!!それとも、もしかしてわかっていないの、全然??音の良し悪しが????自分にとって何がいい音かそうでないかを自分で決めれないの?ステサン害者ここにありか。)

売り子:「間違いなく最高の音ですよ、毎日が楽しくなりますよ、、(以下アホすぎて失念)」
(オェぇぇぇぇ、最高の音ねぇぇぇ。ヘドが出そうだ。お前が最高のなんて言ったら、たちどころに最悪の音が出そうだよ、まったく)

うつオジ:「そっちのXXXXなら大丈夫でしょうか?」
(あ・の・ね!!!あほ。だから質問するな。ブランドで決めるな!おまえの目の前にアンプがゴロゴロあるんだから、まず質問する前に聴け!聞け!聴けぇぇ!!)


店員:「いやこれはダメですよ、たかが50万程度ですから、最低でも100万以上しないと」
(おいおい(爆笑)値段で決めるな。値段で決めれるのは自分の好みの音がある程度わかっている人だけがすればよろしい)


うつオジ:「そうですか、なら、こっちなら大丈夫でしょうか?」
(はぁぁ(鬱)お前ねぇ。いつになったらこいつらから散々馬鹿にされているか気づくかね、ホンマに。)


店員&売り子:「そうですね、それなら3台買ってください。」
(もうめちゃくちゃだな、無理やりカネを使わせようとしているんだな、お前ら、犯罪だぞ、ここまで来れば)


うつオジ:「わかりました、合計でいくらですか?」
(おいおい、まあこんな感じであの表にある馬鹿デカイ外車も買ったんだろうな。あんな外車でコンビニおにぎり買いに行く毎日なんだろうな、あんたって)


と、まあ、この手の会話がワイワイと、一切音楽が流れることなく、100万単位の機械の目の前に並べて行われ続けている事、全く音を聴かず、「いいですよ」「どうでしょうか」の連続した会話にさすがに嫌気がさし、ちょっと冷やかしてみた私が一言。(ほっときゃいいのに(笑))


私:「すみません、JBLとレビンソンのセパを聞かせて下さい。」


一瞬白けたが、メーカーの売り子(決してJBLやレビンソンの輸入代理店の人ではない)が嫌そうに(笑)アンプの電源を入れた。その面倒臭い様子にムカッときた私は続けて悪役をかってでた。


私:「あのう、他のスピーカーは干渉しないのですか?こんなに接近させてセットアップしていたら特にウーハーなどはアンプに接続していなくても動くと思いますが。特に真横のスピーカーなどはターミナルをショートさせた方がいいのではないですか。アンプだけでも800万円近いですから、せっかくですから良い状態で聴きたいですので。」


まあ、実に嫌味たっぷり、悪役バリバリの私である(笑)。


売り子:「そ、そうですね。確かに干渉するかもしれません。少々お待ちください」

流石某国産メーカーだけあって、あっさりと素直に対応してくれた。さっきのうつオジへの売り方とは打って変わり、汗をかきながら一生懸命である。すると、息を上げて、うつオジがいきなり叫んだ。

うつオジ:「干渉ってなんですか?アンプに繋がっていないスピーカーから音が出るんですか?ショートってなんですか?壊れるんですか???」

かなり驚いている。うつろな目がますますキョロキョロし始めた。横にいた私も悪役効果が効きすぎたと知り、すこしきまりが悪くなった(笑)。「まあ、あまり気にしないで」という店員の言葉にもかかわらず、うつろおじさんは不安でたまらないようだ。しばらくすると、店員が図を描きながら丁寧に干渉について教えている。

うつオジ:「その図、もらっていいですか」

今度は店員が驚いている。
いやはや、絶句である。新品の300万クラスのスピーカーを買っている人が知らないレベルの情報ではない。車を買ってハンドル操作を知らないレベルである。


人生、バランスが大切である。
人間は、その人自身の最も低い品格ですべてを計られる。
我ながら実によく言えた、名言、迷言(笑)である。
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# by masatonet | 2016-08-06 10:39 | ヒトリゴト日記

弱者という括(くく)り

強者と弱者

そもそも「分類」なんて愚かなことだ。社会的な意義があるにしても滑稽である。「分類」することでその分類学者たる者達もまた分類されることを忘れてはならない。

強者と弱者

社会的弱者
民族差別
貧富の差

区別することからくる集団意識
排他的偏見


以前から北朝鮮問題に関する本を読み続けている。未だたかが20冊足らずだが、かの国の状況たるや悲惨を通り過ぎて言葉を失う。穏やかに日本で過ごしていると隣国の極貧生活など全く知らず仕舞いだったことが悔やまれる。

北朝鮮から日本に「命がけ」で脱出してきて暮らしている人たちもいると聞く。多くは韓国へ行き生活をする。彼ら彼女らのことを「脱北者」という。

言葉とはなんと愚かな者だろう。


私は政治的な事に関与する事はあまり好まないが、この「脱北者」という言葉はなんとかならないのだろうか。「難民」にしてもそうだし、「障害者」もそうだが、各々の言葉が持つ「客観的整合性」は良くわかる。しかしあまりにも直接的過ぎてきまりが悪くなる。

「ニート」やら「ひとり親」やら、とにかく円の中心に属していない人達に、正直言って「排他的存在」として決定的な言葉を当てはめて文字通り区別という名の差別をする事は一刻も早く20世紀の遺産にしてほしい。


いつになったら言葉がもたらす利便性一辺倒から脱出できるのだろうか。


人はみな影と日向を持って生きている。自分だけが円の中心に存在している訳ではない。いや皆、捉え方を変えたら円の外側で生活しているのだ。

自分が勝手に円の中心にいると信じる事をやめて欲しい。

斉藤ひとり氏の『ふつうはつらいよ』という著作を読むまでもなく、ふつうはふつうではないのだ。偏見を持てるほどの身分は決して偏見しない方々である。つまり偏見する人たちは自ずから偏見を持たれている事を示している事になる。

円の中心にいると誇示することは自ずから円の中心にはいない事を言っているに一致する。


広島に原爆を落とした事を正当化する大半のアメリカ人達からすれば、「脱北者」も「真珠湾攻撃した日本人」も分類上では似たようなものだろう。分類とは実に身勝手なものである。

我々は西洋人の捨て駒である。ベトナム戦争しかり、朝鮮戦争しかり、中国の勝手極まる人工島問題でもしかり。

地球規模で国境を越えて世界人類が皆「ヒト」として大きな枠組みで生き始める日が1日でも早く来て欲しいものである。ジョン・レノンのイマジンではないが、そう声高に叫ぶことが出来ないのが誠に残念である。
「祈り」とはそういう時こそ人に与えられた最終手段なのだろうか。
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# by masatonet | 2016-07-29 21:08 | ヒトリゴト日記

人を敬う事なしに、貧困から逃れる事は出来ない。

ゆとり世代
貧困

因果関係がないとは言えそうもない。
2016年現在で、2、30代がおよそゆとり世代となるし、恐ろしいことにその世代が子育て、さもすると小学生くらいの子供を育てている。ゆとり世代親達は実に自信満々である。迷惑千万なのは他でもなく子供達だ。

ゆとり世代の特徴は、全てがフラットだという事。つまり敬も譲もなく、全てが自分達と「同一レベルでそれを良しとする」事である。プア充などもまさにこの世代の醍醐味である。

「あのねぇ、山本さん」と気軽に呼びかけるのは大学生の絢香。山本さんとは学部長の山本誠一郎。山本が授業態度の事等で注意しようものなら「はぁ?なに勝手にキレとん?」とキョトンとする絢香。

上記のような、まさに「教育の地獄化」がもはや日常化している今日この頃である。

ゆとり世代
貧困

繋がっただろうか?
賢明な読者諸氏はすでに大きくうなずいただろう。

貧困の原因を一言で言うのは不可能だが、多くは「教育環境」に潜在していると考える。より良い相談相手が不足した状態で貧困から抜け出る事ができない事は巷の溢れる該当の書籍を読まずとも分かる。「教育環境」の不平等は多くの場合世襲されよう。逆もまた然りであり、よい「教育環境」で社会的な貧困とは程遠い生活をしている人達は、一代でというよりも、そのよりよい「教育環境」は世襲された場合が多い事実がある。周知の事実は、豊かな暮らしの子供は、それが親や先祖に全て依存されているわけであって、よほど稀なケースを除けば、子供の貧困は親の貧困である。


では、重ねて考えるが、どうしてそこまで貧困が広がるのか。ここまで物質的に豊かで、また肉体的に安楽な環境であるにもかかわらず、富裕と貧困の決定的なまでの二極化が進むのだろうか。

経済評論家の長谷川慶太郎氏の言葉を借りると「金と情報はあるところにしかない」となる。そして、その「あるところ」とはまさに「上質な教育環境」のことなのだ。

するとたちどころに勘違いされそうだが、教育環境は自ら手に入れる事ができるわけで、決して現状の教育環境から逃避できないなどとは毛頭考えていない。つまり、自分から積極的によい環境を見つけるべく動けばよいのである。しかしそれができない、それが出来れば話が早いが、などと貧困研究従事者から非難が聞こえてきそうだ。

ここで立ち止まって考えてもらいたい。

なぜ、それが出来ないのか、つまり自分から積極的によりよい教育環境を見つけようとしないのか
という問題について考えられたい。

筆者は「敬と譲」の完全な欠如がその一因ではないかと思われてならない。

敬うことと謙(へりくだ)ること。一昔前の日本人なら当然それを持ち得た。しかし、全く死語となってしまった。

人を敬うことが出来ずに、どうやって教育を受けるのだろうか。
謙ることなしに、どうやって自己研鑽出来るのだろうか。

「敬と譲」が失われた国家は衰退の一途を行く。日本人の根底にあったそれらの美徳は、二宮尊徳や上杉鷹山らによって世界的に知られることとなったが、不幸にして第二次大戦後アメリカにして徹底的に打ち壊されて現在のプア充へと繋がってゆく。


自分達は「先生ら」と対等で、往々にして「先生ら」よりもよく知っている、「先生ら」はただ古いだけで、、、のような教育環境の捉え方がまかり通っている。そうなると、残された道はただ一つ。自分のレベル以下の人間関係を築き、その殻の中に閉じこもり、その中で税金を貪り、しかも絶対的に貧困におかれた状況を全く満足し続けるために「劣等を充足感に置き換える生活」を送ることを余儀なくされる。

ゆとり世代
貧困

「敬と譲」はこうして完全に忘れ去られた。


井の中の蛙大海を知らず。初潮を迎えた保育園児が保育園児を育てる時代。

もし日本人がその偉大な精神を取り戻すなら、まず「敬と譲」を取り戻すべきだ。
待機児童うんぬんでも保育士うんぬんでも全く解決にならない。
一体なにをやっているのだろうか。
全く迷走したいとしか思えない。

自分がお山の大将ではなく、まず目の前の人を敬うこと。
自分は何も知らないことを知ってへりくだり(決して劣等感を抱けとは微塵も言っていない)、1から学びなおす事。

できる事は、それぐらいだ。

ゆとり世代
貧困

強固に繋がりつつあるその2つの言葉は、今後日本の精神的前線となるだろう。
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# by masatonet | 2016-07-20 20:15 | ヒトリゴト日記

コアコミュニケーション(1)

コアコミュニケーション(核コミュニケーション)つまり、人間の関係の原点なるコミュニケーション。人間存在の最根底にあるコミュニケーションは男と女の性行為によるコミュニケーションであり、そこからすべてが始まる。動物的本能として交尾欲求は不滅であろうが、そのコアコミュニケーションの原点がここ最近揺らぎ始めている。

金銭的に、境遇的に結婚できない状態で無いにもかかわらず、結婚をしない人が増えていることは明白である。

結婚しない方が気が楽という画一的な理由で、先の本能的なコアコミュニケーションを自在に制御出来るほど我々は聖職者的禁欲さは微塵も無い。セックスはしたいし、自分の子供は欲しい。しかも結婚できないのではなく、結婚しない訳である。

苦労を分かち合うのではなく、苦労を二倍にして二人で共有するのが結婚生活だろう。さらに現在において最重要問題として、金銭的経済的な問題もある。必然的にパートナーへの出費が発生するからお金が無いと当然結婚できない。ただしこの問題は私個人的には全くと言っていいほど関係無いので、不謹慎と思われるかもしれないが、「お金が無いから結婚できない」という問題一切は無視除外する。

一人だけでは考えが広がらない。しかしだからと言って二人だと広がるかと言えばそうではない。考えられる事は、自分一人だと自分勝手に振る舞え続けることが出来るので、抑えがきかなくなる。ワガママし放題な訳だ。それを抑制するには二人以上で暮らすことが必要だろう。

配偶者を数人養えるだけの収入があっても結婚しない。つまりお金がないから結婚できないのではない。お金があるから結婚しない。

玉の輿

かつてはそのような言葉があった。今でも使うだろうが、考えるに、死語になりつつあるように思う。
玉の輿が理想だと言うつもりはないが、経済的に困窮している家庭の女性達が、これほどまでに玉の輿に乗れない時代も、もしかすると今までなかったのではないだろうが。

空威張り

私は統合失調症です!現在は精神病なんて風邪と同じ皆持っている病ですから!!!
ウチはビンボーですが幸せです!お金持ちなんて興味ありませんし!
今とっても楽しいです。結婚なんて考えていません。だって毎日楽しいから!!!!

まあ、本音だろうが、別にことさら自慢して欲しい内容でもない。何かとストレートに自己主張する教育を受けてきた、特に「ゆとり世代」は、羞恥心は皆無であり、まして謙虚さ、そして尊敬心など皆無である。

素直さ

松下幸之助が大切にした言葉である。私も決して素直ではないが、自分の気持ちだけには素直であるつもりだ。しかし、自分の心、気持ちにも素直でない人が多くなってきている。特にそういう女性が多いのではないか。

常に空威張りを続けている。そんなに威張らなくても良い。なにをそんなに威張っているのだろうか。そんなに貴方へ劣等感を抱かせているのは何か。


私は結婚したいです。ビンボーですし、顔だって良くはありません。お金の苦労はしたく無いのでお金がある人が良いですが、分不相応と言われても良いですから、だからそのかわり一生懸命頑張ります。自分に足らないところを一所懸命勉強するつもりです。それに子育てだって、もちろん完璧には出来ませんが、足らないところは夫婦で補い合って行きたいです。でももしかすると自分に出来ることなんて子供を産むことぐらいかもしれません。それでも一生懸命やります。お金も少しでも増やすよう勉強して頑張ります。こんな「程度」の私ですが、ほか何か必要ですか。

3、40年位前なら、玉の輿に乗った女性達が使ったが落とし文句!?が上記のようであっても不思議では無い。そんな謙虚な女性なんて存在するはずないし、上の文句でも全くの嘘である。そんなのが嘘なんて、ちょっと賢い男なら誰でも解る。


しかしである。



そんな、真っ赤なウソですらつく事のできない時代が現代なのだ。冗談でも良いからそんな「ウソの謙虚さ」でも拝みたいくらいだ。ウソの素直さですら、どこに行ってしまったのだろうか。

正直の上にバカがついて、自分に「バカ」正直に生きている独身が圧倒的に増えた。謙虚では無い。自分の気持ちを誤魔化して、客観テストで満点を取る事ばかりの教育を受けてきた最大の弊害である、自分という個性を消して、妙に良い子ぶりっ子し続けている。出来なくても出来ているかのように空威張りをし続ける。


「あ、あの子結婚したんだ。男も可哀想に」と思えても、「あの子取られた!ちょっと待ったぁ!!」とは思えないほど愛嬌も悪く、ガラも悪く、生意気の塊で、上から目線で、支配欲と独占欲の屍であっては、魂の抜け殻のようなオスしか交尾にやってこない。メスがやらせてやる訳で、食べ物も与えてやらないといけない。養い手はメスであり、オスは不甲斐ないほど好まれ、「こんなボクでも良いのでしょうか?」みたいな女の腐ったような輩の方が、飛ぶように売れる、つまり圧倒的に婿の貰い手(笑)がある訳だ。


そうなると、当然、質が高い男性との交流は一切行われない。男は自分(女)より常に弱々しく質が低くないと「ヨチヨチ、お利口さん」と頭を撫でられない。頭をなでられるなんて絶対に我慢出来ない。女が男を見下さないと全てが始まらないからである。


それが、現代の最大の問題である「子供の貧困」につながっている。大体おかしいのだ。お金を持っている人が結婚すれば良いものを、そうで無い人同士が、貧乏人同士が子作りを無造作に続けている。その二極化が甚だしい。私を含めて、教育や資産を多く蓄えている独身が多くいる一方で、なぜここまで子供が貧困になる原因があるのか。

答えは明白である。玉の輿がなくなったせいだ。別に冷やかしているのではない。傲慢な貧乏人が膨大に増えたのだ。プア充なのだ。これほど傲慢な事はない。

自分が産む子は、貧しくなって欲しくない

と正直に言えば良い。なぜそれすら言えないのか。お金なんて関係ない、愛情だ、価値観だ、などと寝言を言いつづけて、結婚後翌日にして、どうやって生活するのかと喧々するのだろう。


ごちゃごちゃ考えずに、サッサと結婚しろ!

とロクでもない配偶者がいる動物化させられたホモサピエンスが言いそうだが、考えないといけないのだ。考えないから貧困になるのだ。その点が全く分かっていない。いやもう少し丁寧に訂正すると、考えなければならない事を徹底的に考えなければならないのだ。ノイローゼは考えなくてもよい事ばかりを考えているから起こる訳で、鬱もそこから始まる。


貧乏を
精神病を
自分の短所を

自信過剰に自慢して来る。つまり、端的に言えば、教育されていない状態なのだが、それでは質を上げる事など不可能で、それを否定するしかもはや生きる手立てはない。


玉の輿

最も合理的な質の上げ方だろうが、まず「ウソ」でも良いから謙虚にならないといけない。

コアコミュニケーションにおいて、そのような「ウソ」はなによりも大切だ。バカ正直では、貧乏のまま、それをバカみたく肯定し続ける、プア充の生活が全てであって、プア充が多額納税者が収めた膨大な税金を無駄に使い続ければ、そう遠くない日、日本は崩壊する。
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# by masatonet | 2016-07-17 21:48 | ヒトリゴト日記

場当たり的人生万歳

人皆出たとこ勝負で人生を進ませる。
天変地異が起きると今までの計画などは無に還る。
人の死も歳の順ではない。

自転車操業的な人生設計を作り続けている。その自覚があろうがなかろうがである。

自分の興味は相手の興味であると信じ込んでいる。
偽善的である。逆の立場は想像もつかない。

本音と建前で生きているのだが、いつの間にか建前が本音のような気がしている。


独身者を見つけると、「そろそろ・・」と話を「建前」で持ちかけるくせして、自分自身の夫婦関係が絶望的だと語る更年期の女。自分の息子夫婦が警察沙汰の夫婦問題を何度も起こしているにも関わらず、息子と同世代の独身者の結婚話ばかりを進めるノイローゼ老婆。

行かず後家を見つけると「そんな性格じゃお嫁に・・・」なんて余計なお節介をやくくせに、自分の40年来引きこもりだった息子が「無事に」ニートだった「女」と結婚できたと自慢する統合失調症の老人。

嫁が3人目の孫を産み、その写真を方々に持って行き「かわいいでしょ、かわいいでしょ」と連呼しまくり自慢する傍ら、嫁の実家の異常なまでに年若い母親のADHDの深刻さを捲し立てて話し続ける早婚女。

60歳近くの独身女が両親の下のお世話しつつ、方々に自分がいかに立派な女かを自慢しまくっている。40年以上親から逃げて都会生活を続けていたが、精も根も尽き果てて「親孝行という名の偽善者」になって今度は結婚できなかった我慢ならない自分自身から逃げようと必死。

親に殺されるばかりの暴力で育った20代女。徹底的な自己嫌悪であり、毎晩恐怖観念に取り憑かれていてもそれは「仕方がない」事とばかり平然を装う。しかし装うのも限度あって、「私はもう大丈夫」と信じきるために、自己逃避のための常套手段として、生贄を見つけた。生贄つまり「なにも出来ないダメな男」と同棲を始めたのだ。「このダメ男は絶対に自分を捨てることなど出来ない、私が助けないとこの男はダメなの」と自己嫌悪の裏に潜む徹底的なメサイヤコンプレックスの塊の女。

是非結婚観を聞きたいようなステキな老夫婦は彼等の結婚観など一切触れない一方で、絶対に結婚観など聞きたくないようなダサい老夫婦は「必ず」と言っていいほど、強引な結婚観を押し付けてくる。独身でいると最後には憐れまれる始末。よほどコンプレックスの塊の人生だったのだろう老人。

子供がいない夫婦に得々と孫の自慢話をし続ける田舎の安寺の女。「まあ、子供がいないの??どうして、、、まあ。。孫はかわいいのに。うちの下の娘なんか・・。」と永遠と捲したてる。話は極めて表面的でどの子供の家族も「最高に上手くいっている」と自慢口調だが、自分が自慢出来ると思っているところだけを話しているだけで実が全くない。


自分の価値観という狭い範囲でしか考える事ができない人達は、子供のような「自慢」をするが、少しでも深くを見つめると、「自慢」は憐憫に直結しているを自ら呈している。



どうして、自分が全ての問題を起こしていると気が付かないのだろうか。

自分が不幸になっている原因が結婚なら、それを臆面もなく勧めるのはキチガイの他適切な表現があるだろうか。

いや、それとも、自分だけ不幸になるのでは気が済まず、「幸せな独身者(笑)」に不幸な結婚をさせて道連れにしようとしているのだろうか。

いや、結婚以外道はないから、結婚しない人はマトモな人間ではないと信じているのだろうか。

いや、結婚せず幸せに人生進まれたら、自分のダサい結婚生活を一切否定されてしまうことが怖いのか。

いや、結婚が唯一絶対の幸せへの道なのか。芸能人の離婚ニュースが最高に好きなくせして。


ちょっとでいいから立ち止まってよ。
バタバタ慌てないで。

なにをそんなに死に急いでいるの?
なにをそんなに不幸に急いでいるの?
相手を騙して結婚しても、相手はもっと貴方を騙してるよ?なにやってんの?
あ、そうか、騙されたいんだよね?
ちょっとでもマトモだったら相手にただ騙されたいんだよね?
傷を舐めあっても次の日には舐め方の不満を言うだけじゃないの?
お互いの「経済的救済活動」じゃないの、結婚って?性がらみで逃れられなくしといて。
「婚活」って「税収」の為って知ってるの?
一人で寂しいって本当なの?そういう人って二人でも何人いても寂しいって言っているよ?
家族って慰めあってるの?棺桶運ぶ人員を毎日見てそんなに安心なの?貴方の葬式の事は100%貴方は知らないし、どうにも出来ないのに?
それ、本当に必要だったの?
一時(いっとき)でも夫や妻が邪魔だなって思っているんじゃないの?
幸せだって信じているけれど、もっと他の幸せがあるかもしれないとは考えれられないの?

唯一の幸せがそれだってどういう理由でそう言い切れるの?
それって「とりあえず」少なくとも他の幸せを知っているからそう断言してるんだよね?

恋愛を語っているけど、お爺さん、お婆さん、昔「なんにん」からでなく「何十人」から求婚されたの?言い寄ったんじゃなくて、言い寄られた数をきかせて?
いや、いわなくてもいいや。一目見ればお爺さんやお婆さんがどのくらいモテたかわかるもん(笑)。昔の話を聴いたり写真を見なくても、その歳取った姿で昔を語っている事実を知らないの?

孫、甥、姪かわいいでしょって言っているけれど、本当に心からそう思っているの?
代々精神病なのに子供いっぱい作って、その子や孫を見て本当に喜んでるの?悩む頭って一度でいいから持ってみてよ。可愛くて仕方がない子や孫が全部精神病になる未来がそう遠くないことが分かると、怖くなって子作り出来ないばかりか、結婚すら出来なくなるから。そんな話すら呪われている事が分かるでしょ?
私はもう大丈夫って言っているけれど、毎晩悪夢を見ているんでしょ?
それって全く「大丈夫ではない」致命的な状況なの。言葉は正しく使えるようにならないと、気がつけば完全に手遅れになるのが分からないの?

頼むから、自分の代で「狂った人生」を止めて欲しい。
立ち止まって、ちょっとでもマトモな悩める頭を持って欲しい。
写真見て「いい人じゃない」ってどうして分かるの?犬猫みたいに夫や妻を選ぶなんて訳が分からない当人達にしては大迷惑。
いや、迷惑じゃないか、それほど頭良くないから、悩めるほど出来ていないから、お金持ちをバカにして自らお金がない同士が子作りして「罪のない子供の人生」に命がけで壊しても全く平気。自分たちも壊されたから。

頭がおかしいのは「なにも分からず見た目至上主義でバカみたいに結婚している人や、優越感や劣等感で同棲している虚弱女や交尾目的のオスや、金が無いのに子作りをしている人達」であって、独身者たちではない。

まもなく、その審判が下される。

子供の貧困
親の品格低下
などはまだまだそのほんの予兆だ。

なにも考えずに、バタバタ結婚しちゃった人達

覚悟しなさい。

まもなくではない。
すでに審判は下った。

人は皆一人で生まれ、そして死ぬ。

そんな当然の運命に逆らった「考えない、場当たり的人生」を作って、自分の人生から逃げ、「楽しく身勝手な普通」を満喫しているとどんでん返しがすぐそこまで来ていることすら気付かない。

この極めて本音で書きなぐったブログ記事が一人でも「少ない」人に読まれる事を祈っている。
なぜなら、皆が愚かで「同じ間違い」を繰り返すような生活の中でうごめくよう仕向ける老人達の子や孫は「真実に気付かない方が幸せ」だからだ。
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# by masatonet | 2016-07-13 17:06 | ヒトリゴト日記

仏の顔も三度と言うが。

さて、クルマ自体の価値が高くなった2015年型プリウスだが、遺憾ながら販売店の価値は依然低いままである。
ま、外車ディーラーのようには行かないことは重々承知していたわけであるし、今回まですでに2回も新車を同カローラ店より購入していく中で、「担当の営業マンを変えて欲しい」という一家一致の意見が挙がったのは枚挙に暇がない。にもかかわらず、ズルズルと3度目のアホを続けてしまったことは無念である。
どうも、様子を見ていると、担当の営業マンだけの問題ではなく、このカローラ店の全体の問題のような気がしてならない。なんとなく、ボーッとしているのである。キレが全くない。気が抜けたビールみたく、なんだかボーッとしている雰囲気である。コミュニケーションがとにかくユルい。対応が極めて緩慢であり、まるで10年落ちのパソコンのようである。

今回のプリウスはドイツ車を真っ向ターゲットにしたようで走りが良くなったことは疑いの余地がない。300万円足らずのハイブリッドカーとしては文句無しに満点である。
内装に光沢性あるパネルを多用しているのでちょっと荷物が当たっただけでキズが入ってしまうし、リアバンバーのアンダー部分も黒色のマットなのでキズがすぐ入ってしまう。この辺りはデザイン偏重とは言えキズを出来るだけつけずに大切に使いたい私としては誠に残念なところ。

ただし、肝心のハンドリングは好調だし、燃費はちょっとアクセルレーションを工夫すればすぐにリッター30キロは叩く。車内の静寂性も高速走行もコストパフォーマンス最高の仕上がりだ。


そう、クルマ自体は素晴らしくなったわけであるが、販売店は従来のまま。サービスが向上した気配は皆無である。せいぜい無難な見せかけの値引き程度。子供騙しの粗品である。

全く本気でない。

別にベンツディーラーやレクサス販売店のような対応を求めている訳では決してない。
とは言え、

仏の顔も三度まで

6年近いお付き合いだったこのカローラは今回のプリウスを最後にお別れしたい。


今まで幾度となく営業マンの無能性はほのめかしていたわけだが、なんとか優しく
まるで親のように接してきていたが、限界である。


トヨタの新車を購入するとトヨタ本社からアンケートが届く。認識番号があるので個人を特定できるようになっている。当然オンラインでも答えることができる。


クレームをアンケートに記入するのは家人は大変嫌がるところである。また、仮に今現在謝罪していただいてもなんにもならない。今回の新型プリウス注文の際にも手違いが多々あり、それをすべて許して購入したわけだ。数万円ならいざ知らず数百万円の買い物で手違いの嵐はちょっと常識を疑う。

よって、気が進まなかったが、トヨタ自動車の新車購入アンケートには極めて正直に、となると極めて厳しい評価をつけて送信した。


その後一週間経って、いきなり夜分にカローラ支店長が営業をつれてすっ飛んできた。なんだがオドオドしてこちらに平謝り。いやいや、謝って欲しいのはもうすでに過去の事。何を今更になっていっているのか、皆目見当がつかない。アンケートの限りない低評価をそれほど気にするなら、なぜ今まで幾度も言ってきた私からの店舗への意見をすべて無視し続けたのだろうか。

う〜む。


一体彼らは何をしたいのだろうか。トヨタ自動車本社から睨まれたくないからやってきたとしか思えない。全く持って常識を疑う。そんなに自分が大切か。

もちろん誰でも自分が大切だ。
しかし、それでは高額商品は売れない。リピーターにはならない。

ちょっと、、いやかなり傲慢なのだろう。売れたらおしまいなのだろう。ゆえに本社アンケートの評価で血相を変えてすっ飛んでくる。


哀れでさえある。


新型プリウスは、売って良い店舗と売ってはいけない店舗を分けるべきだ。
そうでないと、いくらクルマの価値を今のように高めても、ユーザーが低俗な販売店によって果てしなく貶められてしまうだろう。

トヨタ決死の決断をいまここに問いたい。


クルマの価値を高めたら、ディーラーの価値をも高めないといけない。そうなると大変であろう。トヨタはビジネスホテルに一泊数十万円もするようなホテル並みのクオリティーを与える必要が生じたわけである。いやはやなんとも皮肉な話である。



メルセデスベンツの価値はまさに営業マンの価値であった。それを疑うなら新車ユーザーになればよくわかるだろう。


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# by masatonet | 2016-03-27 20:26 | ヒトリゴト日記

運転する楽しさをありがとう、新型プリウス

今年の一月末に我が家にやって来た新型プリウスだが、早くも新車一ヶ月点検のお知らせハガキが届いた。
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ま、とにかく今回のプリウスは実にメルセデスを手放して以来初めての「運転が楽しいクルマ」であることは間違いない。その走行距離が物語っている。
新車を購入してわずか一ヶ月でまさか10000キロは走っていないが(下取りのプリウスαは3年足らず乗って全走行距離が16000キロだったことを考えると思わず吹き出しそうになる)軽く3000キロ以上はわずか一ヶ月で走ったわけであるから我ながら驚きである。しかも、独りでワガママに走っているわけでなく家人やらなにやら(笑)を乗せて走っているわけだから、我が家にとっても、まさにメルセデスベンツ以来の「走らせるクルマ」がやって来た事になる。

一つ言えることは

まあ、当たり前の事かもしれないが、


クルマは運転が楽しくないといけない



ということである。まあ、自動車の自動運転まであと少しの時代になってきているのだが、クルマを運転するという行為が如何に人間の外的感覚を広げているか、しかもそれを楽しいと思わせるような感覚のクルマが如何に作れるかが、今世紀、量産型自動運転のクルマ誕生までの、自動車会社に託されたものだろう。

チラホラ、新車プリウスを見かけるようになった。我が家と同じホワイトパール色もポチポチ見かけるが、圧倒的に多いのは黒色である。もちろんツーリングセレクション車は少ない。まあ絶対量がまだ少ないからあまり見かけないのだろうし、そもそも地方都市だから、納車まで半年待ちとかいう車はまだまだ目立つ。
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路傍に停止してナビ等を操作していると、特におじさん達がジロジロ見ている。たぶんプリウスのユーザーなのだろうか(笑)、とくにテールランプのデザインを見るや否や「ウヘェ〜」という顔をするおじさんが多い、多い(笑)。個人的にはテールランプのデザインが購入の最大のポイントになったこともあり、「へへ、この極めて新すぎるデザイン、ついて行けないだろう!」と悦になるところである。


ツーリングセレクションの17インチタイヤが効いているのだろうが、ハンドリングが機敏である。ふわぁ〜と曲がるという感じはなく、カックンと曲がる感じが強い。流石にレース車のようにはいかないが、街乗りでしかも家族やらを乗せる訳だから、この辺りがギリギリだろう。

特に高速走行が、やはり、相当違う。
静寂性でいうとプリウスαがダントツだったが、安定性でいうと今回の新型プリウスは圧倒的である。時速150キロ程度でもほとんどブレない。メルセデスのような「地面に張り付いたような操舵感」に一歩ずつ近づいてきているのがなんとも嬉しいが、もちろんベンツのようにとはいかない。しかし130キロ程度なら全く問題なく片手2本指程度で高速運転できた。6年前にプリウスに乗り換えた時は時速100キロを超えるとなんだが車体が飛び上がって行きそうな絶対的な不安感に包まれ続けていたがプリウスαになってようやく100〜110キロ位出せるようになったと喜んでいた所に、今回の新型である。加速がかなり違うので、ノーマルモードでもアクセルを踏み込めば数秒で時速120キロまで伸びてゆく。アクセル感が若干ヌルッとしているが、スポーツ車ではない事を考えると、全く脅威だ。市街地でも加速が良いのでガンガン追い抜ける。すると燃費がとっても悪くなるのが元来のプリウスなのだが、燃費計を見ると24リッターとなっていて恐ろしくなってくるのがこの新型プリウスだ。

特に良いところは、運転が楽しくても高速でスピードの出し過ぎにならないところだろうか(爆)。メルセデスならやはり時速130キロから「よし!行きましょうか!!」という感じになっていたのだが、今回の新型プリウスは時速130キロくらいが一番走り良い、、、、とは言っても違反!免停スピードなので、実際は90キロから100キロ程度で概ね走っている、、、すると軽自動車にバンバン抜かされるが(爆)

本当に走り良い事この上ない。
トヨタ自動車の社長がテストコースでこの新型プリウスで走り続けていた気持ちも分かる。


新型プリウスは、ホント良い車になった。


今秋くらいから新型プリウスで街中が溢れ始めるだろう。


ご購入者の皆さん、くれぐれも安全運転を!!
(爆)

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# by masatonet | 2016-02-24 22:19

飛翔するエコ思考

ひと昔、と言っても15年くらい前だが、外車の多くは(当方はメルセデスだったが)新型試乗をする際、販売店や代理店の人は同乗せず、あちこち乗り放題だった。さもすると一ヶ月くらい貸してくれるのが当然だった。今でも「上得意さま」にはそのようなサービスをやっているディーラーもあるだろうが。

しかし本格的な不景気になって、そのようなサービスも下火になったことは明らかだ。最低価格500万円以上が当然だった外車も今や100万円台から新車を買う事ができる。

長年外車を使っていると必然的に外車ユーザーと交流が多い。BMWやメルセデスを乗っている人達が友人にも多数いる。が、しかし、私を含めて多くは国産車へとシフトしていった。その理由は経済性である。

社用車として使うなら経費の面でも「その他の面」でも外車は見栄えが良いし、まあ結構多いのではないか。近所でもメルセデス、ポルシェ2台持ちの方々は大抵そうである。

しかし自家用となると、特に「正しい経営概念」ある方だと経済性は無視できない。修繕費や日々の燃料費は塵も積もれば山となるで馬鹿にできないのだ。

兎に角、経済性を第一優先するとまず問題になるのが「つまらなさ」である。国産車の大半が運転していて「つまらない」車であるし、事実そうであった。

メルセデスからクラウンへ買い換えた人が一度運転させてくれた事があった。

その時、痛感したのだ。

「ああ、運転は楽しくなくてはいけないのだ」と。


しかし、時代はドンドンとエコ思考へ進んで行く。そうしてガソリン倹約的な運転へ、「エアコンをつけるって!!??ガソリンがもったいない!!!」なんて日常会話になって来た。

省エネは確かにガイヤフレンドリーであるし、震災後大切な考え方である事は疑う余地もない。しかし考え方までが省エネになって来てしまう。まさしく「ノミ」である。

鉄の板の上にノミを乗せ上からフタをする。
下から火を当てると鉄板が熱くなる。
ノミは熱いので逃げようと必死に飛び上がる。
しかし上にフタがあるので高くは飛び上がれない。
その後フタを無くしても、ノミはフタの高さまでしか飛び上がる事ができない。

まあ、これが事実かどうかは分からないが、例えとしては分かりやすい。

省エネ省エネ行っていると、結局全てが省エネ的思考になって、節約一辺倒になってしまいかねない。もちろん浪費思考も大変危険だが、過剰なエコ思考、省エネ思考は萎縮につながりかねない。

自動車で言えば、スバルBRZ(トヨタ86)がそれを上手く壊してくれたと思う。エコカーだらけのここ15年来で燃費を無視した運転して楽しい車であるスポーツ車を大衆車の一角として堂々と発売したのである。フェラーリのようなスポーツ車は昔よりずっと販売され続けているが大衆的ではない。大衆車として量産スポーツカーの動向に多くが注目した。

そして、冒険的とも言われたBRZはトヨタの販売網があったからか、いやそれだけではないだろうが、省エネ社会に大きく受け入れられた。見る見るうちに方々で見かけるようになった。

建前上は四人乗りであるが、やはりファミリカーではない。運転が楽しくても後部座席に人が楽に乗れないと、まあ通勤用かデート用としか使えない。男のロマンをかんじさせるが、BRZは長年祖父のセリカ2000やXX(ダブルエックス)やらに散々乗り続けた我が家の人達には「懐かしいが、なんかちゃっちい感じ」と酷評だった。

そこにきていきなり(でもないが(笑))新型プリウスである。
デザインはかなり挑戦的だが、乗り心地やドライブフィーリングは一気にランクアップした。

あのメルセデスのドライブフィーリングと同一かと詰問されれば「違う」と答えるしかない。あのメルセデスの安定性は絶対的だし、今でも家人とのクルマの話題では「ベンツのドアは重たかった、ベンツは車内が静かだった」が一位を貫いているくらいだ。高速走行に至っては、時速120キロを超えた辺りから始まる地面に吸い付いたような走行感は今でも忘れる事ができない。

とは言っても、故障も多かった。これは当たり外れがあるのかもしれないが、「修理代でもう一台クルマが買える」は決して皮肉ではなく事実だった。

我が家のプリウスも3台目となり、ありがたい事に、今回のトヨタのTNGAには裏切られなかった。新車注文初めて「試乗せずに注文」という暴挙に出たが、カタログはウソをついていなかった。予約販売のおかげで去年の12月発売の車が1月20日過ぎに我が家に来ていた。我が家のランクルなんて大衆車でもないし、人気車でも無かったのに半年以上納車を待たされたくらいだから、いくらデザインが「ああでも(爆)」新型プリウスの注文は殺到しているだろう。

カタログスペックだけで車を販売し続ける事に限界を感じたトヨタは、今回のプリウスでドイツ的なパースペクティブを見に出そうとしている。

わかる人が乗ればわかる

なかなかうまい売り方を始めた。

高い車が良い。いわゆる高級車が良い。そんな人はどうでも良い(笑)。


新車プリウス3台目にして、はじめてタイヤのカタログを日々見ている私がここにいる。

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# by masatonet | 2016-02-01 06:36 | ヒトリゴト日記

ホントにエロいのか新プリウス3

さて、新型プリウス(2015年モデル)が我が家にやって来て一週間経とうとしている。色はホワイトパール、モデルはAツーリングである。
地方都市なので、新型プリウスもあまり出回っていないと思いきや、意外とあちらこちらで見かける。まあ自分と同じ車はなぜか目に付くという現象はよく知られた事実であるが(笑)。メルセデスに乗っていた時もよく同じ型のメルセデスと出会っていたし。実に不思議な現象だ(笑)。

今までプリウスは二台新車を乗換えてきて、今回で3台目の新車プリウスなのだが、今回は特に「200万円台」の車として、まさに圧倒的なコストパフォーマンスであることは断言できる。このプリウスをさらに静音化してレクサスブランドで400万円で売っていては、正直バカしか買わない。400万円出すなら、レクサスではなくメルセデスを買うべきだ。物の価値とはそういうものである。最もメルセデスでなくレクサスを買うなら、800万円クラスからである。巷ではこの新型プリウスとレクサスを比較して悦に入っている輩がいるが、笑止。価格帯が違いすぎる。出来の悪い小学生のような比較をネット上でバカみたくする人達は、もう一度アンパンマンの塗り絵から出直した方が良いだろう。

さて、少々興奮しすぎたようだ(笑)。
まず、実際この新型プリウスを所有してみると、メルセデス所有時代を思い出させる「運転前のワクワク感」が沸き起こってくる。そして、ドライブ中の操舵感や安定感はもはや「プリウス」ではなく、なんだか別の車のような、、というと先代オーナーに悪いような気がするが、、、プリウスという名前で売らなくても良かったようにも思えるほど、見違えている。運転席のシートヒーターボタンの下にさり気なくある「助手席シートヒーターランプ」などの「異常なほどのきめ細かいインジケーター」などはどう考えても高級車のノリである。運転席からは助手席側のシートヒータースイッチが死角で見えない故の配慮だ。
それだけではない。

スマートエントリー時に「ピッピ!」と鳴り響く解鍵のビープ音をOFFに出来る。
これ、ホント何気ない事だが、この様なユーザーフレンドリー仕様などは、所謂高級車なら「至極普通」のことだが、大衆車では稀。「まあ気になっても’仕方がありません’から諦めて順応して下さい、嫌なら乗らないで下さい」という、いい意味で「諦観」、悪い意味で「妥協」が山ほど有る訳だが、今回の新車プリウスにはそのような「妥協」がない。見当たらない。
乗り心地や静音性を先代からちょっと高めて、バタバタ慌てて発売された車でない事はもはや疑う余地はない。最もやり過ぎ感もあるくらいで、車内時計の設定程度でも年寄りには困難ではないかと思えるほどにファミコンゲームのような操作が必要になる。

ナビも9インチを奢り、自慢のヘッドアップディスプレイ中にナビ情報が表示されるという、どの角度から見ても「21世紀の安価な大衆車」であることは間違いない。スピードメーターの横のフルカラーTFTディスプレイを始め、9インチナビ全画面、そしてフロントガラスに浮かび上がっているヘッドアップディスプレイの「3つの画面に全て同時に」ナビ情報が表示される。いやはや10年前からクラウン等の高級車にはそのような装備があることは知っていたが、プリウスのような大衆車にそのような「これでもか!システム」が標準装備されるとは、、、時代の流れは凄まじく早いと痛感。

話は少しズレるが、最近BOSEというアメリカのスピーカーを購入した。コンピューターミュージックモニターM2というモデルで4万円しない。一般的にいうと決して安価なスピーカーではないが、オーディオにしめて1000万円近くかけて来た人間からすると「ケーブル1本分」の値段くらい安価である。(もはや金銭感覚が崩壊しているのであって、むろんこの感覚が正常ではないわけだが)
このBOSEが、まあ、実にいい音がするのである。パッシブラジエーターが2個(左右計4つ)使われているので、手のひらに載るサイズなのに低域が気持ちよく響く。長年300万越えのイタリアのスピーカーを使っている自分がなんだが、、、、とっても悔しく(笑)なってくるほど、たかが4万円足らずのBOSEの音は良い。決して大げさではない。それくらい技術の進歩とは「恐ろしい」のである。

今回の新車プリウスは、2、300万円台の外車、特にドイツ車をターゲットにしていると聞く。ドイツ車に20年以上乗ってきた身からすると、実に挑戦的な、好戦的な売り文句だ。

そして、実際に乗ってみると、試乗でなく、所有してみると、いやはや実に凄まじい車だ。極めて個性的なフロントデザインから始まって、かなり挑戦的なリアデザイン。インテリアの質感は大衆車であるが、実に気楽で感じが良い。ビトンでもグッチでもないユニクロタッチだ。さりげない所も抜かりがない。実にニクイ、エロい仕上がり(笑)である。

そして、一度走り出すと、やはり、、


これが
ホントに
300万円しない車か!

と思ってしまうのである。たかが極東の島国が、
イエロージャップが、
小日本(シャォリーベン)が、
アジアの敗戦日本サルごときが、
やってくれるは、やってくれるは。
我ながら日本人である事が誇りに思えてくる、そんな車である。悔しかったら、この車を200万円台で「大量生産」してみろ!を世界中に叫びたくなってくる。

繰り返す。
これが300万しない車なのだ。

これが300万円でも400万円でもし始めたら、全くダメだ。
意味がない。

これにベンツマークやアウディマークがついて、もうちょっとデザインを「’独’らしく」したら800万以上するのではないだろうか。乗り心地からすると、ひと昔(5年程度より以前)の高級車である。

装備は革シートを除けば、まさにフル装備。車体全方位をキャッチする安全センサーが、街中の駐車場に入る度に「ピーピーピピ!!」と鳴り響く(当然OFFに出来るが(笑))
特に我が家はテストパイロットだった祖父がまさに「至難」ともいうべきガレージを作ったので、その中に停めようものなら、新型プリウスのセンサーがまるで「狂ったように騒ぎ立てる」始末である。先日はTFTディスプレイに赤色で「ブレーキ」!!!!!!と表示された、、それほどギリギリサイズの自宅ガレージなのである。後にも先にも、40年以上使う自宅ガレージで衝突用安全センサーが作動したのは初めてだ。そこにクラウンやらセリカやらメルセデスを停めていた訳だから、もう誰もが驚愕していた訳だ。

とにかく、
輸入車は総じて覚悟しなくてはならないだろう。

何を覚悟するのか。
高い物が即ち良い物である時代は終焉を迎えたのである。
「迎えようとしている」のではない、「迎えた」のだ。
いつまでも高く売れば見栄で買ってくれるほど、「審美眼」持った金持ち達は優しくはない。

価格破壊とは100円ショップのことではない。
価格破壊とはまさに「200万円で買える高級車の質感」である。

研究開発費を世界一かける企業が本気になった。
日本の自動車業界の夜明けが、この新型プリウスを機に、まさに始まろうとしている。

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# by masatonet | 2016-01-28 22:50 | ヒトリゴト日記

ホントにエロいのか、新プリウス2

試乗を2回に分けて、日中と夜間にやってみた。
走り。もう出だしから違う。いわゆる「プリウス」ではない。粋なエコスポーツカーにダイナミックに変身してしまったようだ。モッサリした感じは一掃された。先代までのプリウスとは別の車になってしまった。そう「しまった」という表現が適切なのだ。
穏やかなのんびりした「エコしましょ」という雰囲気が充満したプリウスというイメージ。それはほとんどなくなった。「運転する車」への第一歩。目的が運転そのものになっても大丈夫そうな、そんな感じである。
「ヒトやモノを運ぶ車」
から
「ヒトがモノを運ぶクルマ」へ進化した。
私が言いたいポイントは新型プリウスは「主語」を作ってくれそうな車なのだ。その「主語」とはヒトであり、それはつまりドライバーである。
「車」が隠れた主語、いや「メーカー」が隠れた主語になることほど不幸で寂しいことはない。国産車は性能はいいのだが、ヒトが主語になりにくい。外国車、特にドイツ車と付き合うと、ドライバーの主体性を考えさせられることが多かった。確かに車内居住性は国産車に比べると劣るが、ドライバーあっての車であることを常に主張してくる、それが筆者の知るドイツ車だ。

ヒトとクルマのあり方に「このクラス」の車が新しいコンセプトと共に挑む。いや「このクラス」だから出来るのかもしれない。メルセデスであっても、AクラスだろうがSクラスだろうがコンセプトが一貫している。ドライバー主体である。日本車でしかも最大手のTOYOTAがTNGAという新コンセプトと共にそれを始めたことにまず拍手を送りたい。また同時にTNGA第1号機としての新型プリウスがまさに成功したことを喜びたい。この調子でクラウンやハリヤーなどといった同社のクルマに近い将来「主語を与える21世紀のトヨタ車」としての冠を授けてほしいものだ。

カタログにあった「ボタンからジッパーへ」は実にうまい例えだ。洋服でもボタンホックだとグラグラするがジッパーだとしっかり止まる。足回りがかなり違っている。
カーブでも、先代までは路上を滑っていくような心許なさがあったが、新型は地面をしっかりホールドしている。ハンドリングが明白に違う。当然なことだが、カーブを曲がってるという感覚がハンドルから伝わってくるのが新型であり、先代まではカーブの曲がりを体で感じているという感じだった。

また、メルセデスの安全性能に正面から挑む姿勢。ベース車価格200万円台でどれだけセイフティセンサー搭載のアピールが出来るのか。
まずバックミラーに搭載された「ブラインドスポットモニター(BSM)」が実によく反応する。車線変更等ミラーに目を向けるとピカピカとランプが点灯する。夜の走行ではかなり重宝することは必至だが、日中でも非常に便利だ。

車内の静寂さも先代とは比べ物にならない。まあこの点は先代がまるでダメだったので比較の対象が悪いことは否めないが、メルセデスにあるような気密感こそはないものの、ドアの閉まる音などはクラスを超えた良い感触がある。言うまでもないが高級車のようなドアの演出ではない。先代の「ベコン」というドア音から「ボム」というまとまった音に変化した程度だが、プリウスという車重と燃費の関係が厳しいクルマによくここまでドア音のチューニングができたなと思わずニンマリしてしまった。


残念な点は、やはり想像通りだが、デザインが良くなった点と相反するのだが、後部座席のドアが狭いことだ。一端車内に入れば後部座席そのものは狭さを全く感じさせないのは実に素晴らしいのだが、乗るまでが少し狭い。ただこれも慣れの問題だろう。座席そのものは先代とは大きく違って、シートに包まれる感じに好感が持てる。運転席、助手席はシートヒーター付きなので冬でもホカホカである。このシートに包まれる感じはスポーツ車に多い演出だが、今回新型プリウスで、まさかそれを感じるとは驚きだった。

また車内はセンターコンソール周辺の「ホワイト加飾」には賛否あるだろうが、個人的にはそれほど違和感はなかった。ダッシュボードが気さくなデザインなのはまあプリウスらしいのだが、グローブボックスとサイバイザーがすこしちゃっちいのが残念だった。特にサンバイザーの安っぽさには閉口した。まあプリウスだから、気楽さを優先しようと。。。(笑)

祖父と幼児期から新車を選び続けて、子供の頃からチェックしてきた重要ポイントに

1、ダッシュボードの質感。
2、グローブボックスがオープン時に「スー」と音無しに開くかどうか。
3、運転席と助手席の間にあるセンターボックスの蓋を閉めた時の音の質感。
4、シフトレバーとダッシュボードの統一性が上品か。

等々。
この辺りはプリウスクラスの車には求めてはいけないと思っている。
逆手をとって、この辺りを無視することで、「気楽」にクルマと向かう演出も可能だろう。

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# by masatonet | 2015-12-22 20:51 | ヒトリゴト日記

ホントに エロいのか 新型プリウス

筆者がプリウスと縁が出来たのはかれこれ5年前。家宝だったメルセデスが年代物だったこともあり、いやいまだに筆者の夢には出てくる名車だったのだが、友人知人の反対を押し切って!?(笑)、なんとメルセデスからエコカーの金十字であるプリウス(3代目)に乗り換えたのが、そもそも事の始まり。

エコカー減税なるものがあって、政府が何十万円か補助金を支給してくれる。まあ、この政略にマンマと引っ掛かった訳?!である。

さて、メイド イン ウエストジャーマニーのメルセデスからプリウスに乗換えて、
1、修理代がゼロになった(笑)
2、ガソリン代が5分の1になった。
3、「ベンツなんか乗っていやがる」という馬鹿げた嫉妬を一切受けなくなった(爆)。
4、外車ユーザーという重荷を27年ぶりに降ろすことができた。
5、軽自動車ドライバーからの明白な「外車コンプレックス」という名の嫌がらせを受けなくなった。

と、まあ良いことばかり(冗談)ではない。長年メルセデスに乗ってきた我が家の「ふつう」が今や「ふつう」でなくなった訳である。

1、プリウスに同乗した家人は「ねえ、どこか窓が開いているの?」と毎度尋ねるほど、車内の遮音性が悪い
2、高速走行は、まるで飛行機が離陸するかの様に、車体が浮かび上がる感じがあって、極めて恐ろしい。つまりプリウスは時速100キロ以上は出してはいけない、大日本警察連中が喜びそうな車である。
3、ドアを閉める時、メルセデスみたく閉めると、壊れるのではないかと思えるほど「ベコン」というオモチャのような音がする。家人曰く「まるで折り紙みたいに閉めないとね」は決して冗談でも嫌味でもない。
4、ハンドルが、う〜ん(笑)。長時間持っていると、なんだか疲れてくる。
5、(これは決定的なことだが)運転が全く楽しくなくなった。

と、まあ、じゃあなんでプリウスなんかに乗換えたのかい!なんて言われそうだが、そもそも「21世紀に間に合いました」というキャッチフレーズでデビューした初代プリウスから筆者は気にしていたのだから仕方がない。

その初代プリウスデビュー後1、2年後に知人が購入。自慢をかねて我が家に乗ってきたのが、昨日のようだ。
「へえ〜、発電しながら走るんだ」
「モーターも使って走るから燃費が良さそうだね」
「排気ガスがドンドン出て環境破壊に繋がりにくいのは良いね」
等々、すっかりプリウスエコ思考に汚染(笑)されてしまったのである。

その後、メルセデスの車窓からプリウスを見かける度に
「お、プリウスだ。エコしてるなぁ」なんて羨む!?毎日を送っていた訳であるが、数年後そのプリウスを遂に試乗した。無理をお願いして高速試乗もして、その時「こりゃ、いかんな」と思ったことも事実。しかしアバタもエクボ。惚れたら最後。一年近く待たされてシルバー色のプリウス(3代目)が我が家にやって来た。

その後は、トヨタの「うれCプラン」とやらに踊らされ続けて、プリウスからプリウスαへ初回の車検を受ける前に乗換えて、遂に今回「エロい」という噂の新型プリウス(4代目)に乗り換えることになった。当然今乗っているプリウスαは初回の車検を受けていないし、まだ走行距離15000キロ程度という家人友人が言うところの「新車同様」である。

しかも、である。
車検が来年の4月。今回6年ぶりのフルモデルチェンジであるエロいプリウスの発表日が12月。発表されてから注文なんかしていたら車検までに乗り換えることができない。。。。いやいや今のプリウスα、まだまだ乗っても良いんだけど。。。。いや、車検代が掛かりますし、折角の新型。。。。その車検代って、結局いくら?。。。。結構かかりますよ。。。だから、いくらなの?(笑)・・・。。。え、えっと8万。。。

とまあ、こんな会話を営業マンとし続けて、気がつくと、書斎机の上に「新車注文書」が置かれてあった。。。いや、別に営業マンの話に乗った訳ではない。

車大好きの祖父に幼児期から新車購入時にいつも手をつないで販売店に行っていた私である。祖父はなんでも1年度に買い替えていたような(爆)「オンナを変えるようなモンだ」という感じか。

まあ、その辺は今ここで話すのは止めておきたい。

新車を買う前には祖父と一緒に試乗をさせてもらう。場合によっては数回試乗させてもらう。そして念入りにカタログをチェックする。それらがまた楽しい訳である。それを何十回も今までやって来た。

そんな筆者が、今回のエロいプリウスを
試乗もせず
カタログも見ず、見ることが出来ず
注文したのである。

チラッと見たのは、営業マン専用のセールス販促カタログだけである。
ネット上の情報もほとんどない。
知ったかぶりが何人か、反プリウス運動を起している記事がある程度で全く参考にならない。


しかし、実は見せてもらった営業マン専用のセールスカタログに載っていたセールスポイントの文章に気になる点が色々あった。実際それで購入に踏み切ったと言っても過言ではない。

幼児期から祖父に車の買い方を習ってきた私が、気にした点は次のところである。

ドアの閉める音を工夫しました。
座席を工夫しました。
車内の遮音性を高めました。(外車との比較表付き)
車高を低くして「運転して楽しい車」を目指しました。


これは「恐らく」冗談ではないだろう。
メルセデスを長年乗ってきてプリウスに変えた時、一番残念だった点を全て、しかも一度に「なんとかしよう」としているトヨタの姿勢。このTNGAとかいうコンセプトは伊達じゃなさそう。

そう感じたのだ。

運転して楽しい。
これは外国車のユーザーなら誰でも分かってもらえる「常識」だ。しかしトヨタの車にはそれがない。クラウンは乗り心地、遮音性等々抜群であることは周知の事実だが、運転して楽しいかと言われると、残念ながらとなってしまう。

今でも思う。
メルセデスは運転して楽しい車だったと。
つまりそれが良い車の根底である。

プリウスにそれを求めようとしているトヨタは、なにかあるな。なにかを始めようとしているな。

それが試乗せずに注文した筆者の理由である。

エロい新型プリウス。
我が家に来るのは2016年2月だ。

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# by masatonet | 2015-12-18 17:59 | ヒトリゴト日記

ME PAD PRO

iPadpro128gbがやって来た。
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キーボードとペンを合わせておよそ14万円仕事だ。Apple純正で周辺を固めるとどうしても価格が上がり続ける。AppleIIの時代からこの点は全く変わっていない。
いつも、と言うか、Appleにはここ30年来多額に注ぎ込んでいるのだ(笑)。PowerMacG4 500dualには35万円、続いてG5quadには40万円近くかけている。ファッションのG4Cubeは中古で10万、そして22インチのシネマディスプレイ単体に20万円強と夢をかけたし、、、と実際きりがない。PowerbookG3にはトータルで100万以上も注ぎ込んでいる。作曲家松本氏曰く「Macには300万以上もつぎこんだ」も決して他人事ではない。
したがって、時代も時代だから、メイン機を絞り、読書と音楽鑑賞の日常をクリエートするためにパソコンには何十万円もかけない方針で進めようと思っていた矢先のiPadpro発表である。ジョブズが生きていたらApplePencilなんて作ったかどうかはわからないが、とにかく面白い。絵を描きたくなるツールが現れたというわけだ。かのNewtonみたく使ってみたいクールなツールにめっきり弱いのは四〇十歳になってもかわらない。
今回はメイン機ともいうべきMac本体にかなり倹約を図った。
ディスプレイは激安の1万円台、Macはここ5年以上お付き合いしたiMacをサブに格下げし、新たにMacminiを導入。実際このiPadproとMacのiTunesライブラリを同期させることが中心なのでハイスペックは要求しなかった。WoWのようなMMOももうやる事はないだろうし。
さて、Macminiは噂通り「遅い」。Finderアクション、例えばファイルのコピーや各アプリの起動等々は遅いを通り過ぎて「瞑想」する時間を与えられたみたくゆったりと動く。まさにロースペックの象徴だ。まあiPadproが今やメイン機なので液晶表示解像度にしても作業スピードにしても三流で構わないわけだが。
さて、購入してから今の所iPad proではPlants vs ZOMBIES 2ばかりやっている(笑)が、まあボチボチいろいろな事で使って行こう。専用のカバー一体型キーボードUSも意外と使いやすい(今この文章を打っている)、実際長年G5quad時代からiMacにかけてすべてUSキーボードを使っているからUSキーボードの配置が手に馴染んでいるとも言えるのだが。

フル充電後一定の確率でフリーズするいわゆる「フリーズ死」が騒がれているが、実際このiPadproでも多発している。機内モードにすると回避出来るという噂もあり、実行してみたがやはり駄目であった。ファームウエアかiOSのアップデートを待つしかない。もし本体の異常なら、返品交換でも構わないが、また時間がかかるのが焦ったくなる。フル充電するのが怖い今日この頃だが、早速のiOS9.1のアップデートで解消されたことを喜びたい。まあproを買うようなコアなAppleユーザーの意見にいち早く対応した、iPhone販売2億台の調子に乗りまくりのAppleの対応としては良い線いっていると言える。私のような往年のユーザーにも嬉しい対応であることは間違いない。

ApplePencilは結構面白い。筆圧も想像以上に表現できる。いわゆる3Dtouchという技術らしいがまだまだ発展途上だろう。若干ラグがある様にも思える。描画力はかなり良い線いっていると感じる。ライバルのMicrosoftのSurfaceproの方がパソコンの出来としては上だろうが、長年温め続けている「電子機器にはクールさが必要」という仁人メインテーマが削がれてしまうので、どうしても不便で高く付くApple派に属さざるを得ない。
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iOS9とiPadproの12インチの広大な画面で本領を発揮する2画面分割は想像通りにクリエイティブな作業で効果抜群だ。いちいちアプリを切り換えなくても同時に使えることはMacOSやパソコンOSなら当然出来ることだが、iOSでは出来なかった。パソコン難民とも言うべき2015年代の10代20代には分からないだろうが、マルチタスクは1画面内にウィンドウを複数表示して始めて効率的なのである。いちいちアプリを一つ一つ切り換えて使っている様では頭の中のアイディアがバラバラになるようなものなのだ。

意外に驚いたのは4スピーカーの威力だ。現物を見ずApple Storeに注文したので少々勇気が必要だったが、映画などはかなりの臨場感溢れるサウンドを演出してくれる。音楽好きだったジョブズが喜びそうな4スピーカーシステムだ。内臓のiTunesのWAV音楽再生も低音こそは期待できないが300万円クラスのイタリア製のスピーカーを日々使う者としても及第点を与えられるサウンドクォリティであると言える。

大きさは確実にノートパソコンだ。タブレットの大きさではない。財布と一緒に気軽に持ち運ぼうという訳には決していかない。iPhoneやiPadminiがギリギリ。胸ポケットにはいる名刺サイズカメラと一眼レフカメラの違いくらいは確実にある。実際私は愛機NikonD3sを入れていた一眼レフカメラ用のバックにiPadproをいれて母と喫茶店へ行っているくらいである(笑)。
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オプションの専用キーボードの出来は良いと思う。キータッチも悪くない。少なくともタブレット画面をタッチしてキー入力をする事ほど鬱陶しいものはない。ミスタッチの嵐であって、まさにヴィパッサナーが必要になるほどイライラしてしまう。物理キーボードだとミスタッチは皆無である。反応も早いし、言うことはない。ただこのキーボードカバーをつけたままiPadproで写真撮影をするのはかなり難しい。proの下に重いキーボードが「ブラー」とぶら下げたままで写真を撮影しないといけなくなる。また喫茶店などの出先だと、膝の上に置いて気軽に使えないという点で、今日、通常のカバーをApple Storeに注文したわけである。タブレットとして気軽に使うだけなら専用キーボードは自宅に置いておいても良いし、カバンの中に入れて必要に応じて付け替えるという手もある。この点はノートパソコンとは違い、キーボードが着脱可能なのはかなり小回りが利く。

早速今日、専用のカバー(スマートカバー)が届いた。キーボードよりも軽いしタブレットして使うだけならこれで十分。写真を撮るだけなら、あるいはApplePencilを使うだけなら、このカバーだけでのほうが持ち歩きやすい。実際はキーボードカバーと比較すると本体の安定性に欠けるが、スマートカバーが薄く作られているので画面の保護としては十分に用が足りている訳である。 iPadAirやminiなどのカバーもこの形式なので開け閉めが楽でもある。

自宅にいるときはやはりキーボードカバーを付けたままにしておきたい。文章入力がかなり楽であるし、ブラックなノートパソコンが自分の机の上にスマートに薄く置いてあるのはインテリア的に見てもかなり格好が良い。


初代iPadからは数段の進歩。
proを使うようになってから、今までのiPadの画面が異常に小さく感じるようになった。まったく贅沢は直ぐに身に染みてしまうようだ。Retinaディスプレイの効果は予想以上で画面が実に見やすい。文字なども極めて滑らかで、読み続けて苦にならない。iPad Airの画面サイズも初代iPadと同じ9.7インチ。これがproになると13インチになり約3インチ(7.6センチ)の違いは想像以上に大きいことがわかる。
重さも初代と同じなので、はっきり言って「重い」ことこの上ないが、比較する対象が初代なので、この重い重量もさほど気にならない。この点は、かれこれ5年も初代iPadを使い込んだ腕力に感謝できる。

唯一、まあ仕方がないかもしれないが、初代に負けてしまう性能と言えば、バッテリーの持ちだ。初代iPadは、5年経った現在でも全く劣化していないようだが、バッテリーが信じられないくらい持つ。ユーザーであれば知っているが、本当に信じられないくらい。一日中動画を見ていてもひょっとして行けるかもしれない。初代のバッテリーの持ちは驚異だ。それに比べると、iPad proは持ちが悪い。内臓のCPU・GPUや液晶の高解像度表示等々がバッテリーをかなり消費していることは否めない。


通常のiPadがオモチャみたいに見える。
店頭に置いてあるiPad Air等は、小さすぎてオモチャに見えてしまう。iPad Airでも決して小さいタブレットではない。女性が持つには明らかに不釣り合いなサイズだ。まして茶髪ギャルが茶店でiPad AirやiPad proを使っていたら「かなりの強者」という印象を周りに与えるだろう。えっ!?こんな小さいのを使っているの??と不思議に思えてくるから困ったものだ(笑)。iPad miniに至ってはproの二分の一サイズ。これならiPhone plusでいんじゃないと思えてくる。画面は大きくないとダメだ。

iOSアプリを中心としてゲーム、そして文章編集程度なら間違いなくiPad Airあるいはproという選択肢になる。同時にApple Pencilはなかなか面白いガジェットだ。一本1万円ちょっとという値段もさることながら、適度な重さが質感の良さを指先に与えてくる。注文して一ヶ月以上も待たせるとはAppleも相変わらずの「プレミア戦法」なのだろうか。

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# by masatonet | 2015-12-18 17:50 | Macフリーカー

島国の女、十字架を負う

小保方晴子さんの事件。

ユニットリーダーの、、、
小保方氏、納得しかねぬ、、、
ユニットリーダーの
ユニットリーダーの、、、
小保方氏、入院し、、、、、

もはや滅茶苦茶、はちゃめちゃである。

目下2014年4月時点、未だにその真偽は調査中とのことであるが、STAP細胞がどうだろうが、コピーペーストがどうだろうが、iPS細胞に継ぐ大発見で、その最大の功労者、小保方さんと筆者が同じ世代で彼女が筆者の永遠のライバルである早稲田出身であるとか云々はこの際どうでもいい。
完全理学系の世界だろうが何だろうが、私は文系人間なので、科学的数学的、化学生物学的考察でなく、 それはできない故に、お家芸である、哲学的社会学的そして宗教学的教育学的にこの事件を備忘することをただ許されたい。またこの観点からの考えが今最も必要なのではないか、その全くの欠如がこの問題をここまで大きくしてしまったのではないかとすら思えてならない。

またおよそ天文学的確率だが、ご本人小保方晴子さんがこの文章をご覧になっても、エールとして昇華されるべく、入院中、その後のお心の支えにしていただければと思う。ブログというのは実際どうやって検索されるのかハッキリしない。こんなご時世ご本人が自分の名前を調べて、しかもこのブログに行き着くとはほぼ全く想像できないが、ゆえに気楽なわけだが、匿名性を使った誹謗は私の全く趣味ではない。小保方さん、ご関係者がご覧になる可能性はタンスにしまった宝くじを当選日の翌日に見るよりも高いかもしれない。勝手にそう思い続け筆を執る。

理学系世界で精神を拘束された人間には、何よりも宗教が必要だろう。アインシュタインの言を借りるまでもなく、それは間違いない。日本で偉大な科学者が少ないのも、戦後、オリンピック優賞が少ないのも、信心との関係があるのではないか、と誹謗覚悟で言いたくなるほど、この国は宗教迷走状態だ。科学には宗教が不可欠ではないのだろうか。どうして両者を引き離すのだろうか。部屋の掃除をするのは、「綺麗になった部屋を見渡して気持ち良く感動し神に感謝するためにする」のではないのか。どうして掃除は宿題を忘れた人の罰なのだ。ここに悲劇がある。そのような教育をし、受けてきた人間の何人が、高僧になるためには便所の掃除が大切だということを理解できるのだろうか。

さて、前置きが長すぎた。本題に入る。
今、人はいったい小保方さん(以下敬称略しOとする)に何を求めたのか。
世間がOにどうして欲しいと要求する前に、世はOに何をして欲しいのか。

謝罪か
辞任か
世は「良い子になる事」をOに期待するのか。

「ながらうべきか死ぬべきか、それが疑問だ。」
ハムレットは真摯にそう言っているが、まさにそうである。

今この文章は、プライベートリスニングルームで、嘗て筆者が全国をチャリティーしつつ歌ったマタイ受難曲、思い入れがきわめて強いバッハのこの名曲を、それをコルボが振ったアルバムを聴きながら綴っているわけであるが、だからと言って、今回のこのOの事件をキリスト教ドラマ活劇として安っぽく陳腐化するほど私も子供ではない。

しかし、考えれば考えるほど、これはやり過ぎだ。Oの失態を大きく取り上げすぎた報道は、自らの醜態をOへの弾劾でさらけ出し続けているのはただ呆れてしまう。踊るだけ踊っておいて、それをメシの種にし、その後、どうしてあんな伴奏をしたのかと、その踊りで一稼ぎし終わってバンドを責め立て、またそれをメシの種にする。全く愚の骨頂である。踊る前に大人らしい考察があるのではないのか。報道関係の謝罪なき無責任さは何時も呆れるばかりか、ここで21世紀においてマスメディアの時代は完全に終焉したとも言い切れる。
またしかも、Oが何度も何度もそんなマスコミに犯罪者のごとく取り上げられ、また涙し、身体を壊し入院中ですら自身の情報を気にし続け、Oのために弾劾される人々に対して深い自責の念を述べ続ける、そんなOに対して、これは出来の悪い教師が「その教師自身が作った劣等生」を生徒たちと一緒に笑いものにする「教室」の姿と全く同じと気がついた。人に備わるやさしさとは、人のことを自分のこととして知ることとは、かの日野原重明医師の名言だが、世の人は、もはや人でなく、心もなく、ただ驚喜したり、憤慨したりする狂人の集まりになりつつある。

これは、かつて『フランダースの犬』のレビューでも述べたが、私に言わせると主人公ネロは「十字架」に架けられたのだ。そして死んでいった。
つまり、Oは今まさに、極東の島国で、敗戦後69年無宗教状態である極めて特異な先進国家で、ひとり「十字架」を負わされた。しかも大小さまざまな「十字架」を負い続けることを余儀なくされ、極悪人バラバは許され、自分は十字架上で死を迎えるイエスよりも、はるかに科学的に高次な屈辱を「死ぬことを許されない十字架」とともに負わされ続けるO。これは一体何なのだろうか。


では、この男をどうするのか。
許してやるのか、それとも処刑するのか。

(合唱)
十字架につけろ
十字架につけろ
十字架につけろ


この部分、合唱で歌うと、私はどうしても気持ちが高揚し過ぎてしまい、その後、自身の愚鈍な残虐性をまた眠らせようと必死になっている。全くイエスの言うとおり「神よ、彼らをお許しください。彼らは自分がなにをしているかが分からないでいるのです」であって、人間の潜在的な残虐性は合唱中ですら芽生えるほどだ。


人は子供の頃から、色々な経験をして育ってゆく。よい経験、悪い経験、それは内的原因で起こったり外的な起因であったりするわけだが、むしろ悪い経験をすることの方が多いのではないか。ロマンロランの、人生は学校である、そこでは良い経験より悪い経験の方が優れた教師である、という金句があるが、人生とは、どうもそうらしい。私もO同様まだ四半世紀も生きていないので、一切全く藍いわけであるわけで、偉大な恩師たちの出藍の、、と成れればと妄想中である。つまり人は誰一人も完全でなく、完璧でなく、それを他人に大きく求めると忽ち過ちになる。事の次第では「十字架」を負わせることになるのだ。

今だからの笑い話だが、高校2年生の時、私は生まれて初めて大々的にカンニングをやり続けた。もっともカンニング自体は通っていた学習塾では茶飯事だったが、学校でここまで大々的にしたのは初めてだった。教科は物理という分野。教科書付属の問題集からそっくりそのままテストに出ているわけで、それなら問題集の解答集を持ち込めば間違いなく100点が採れるという極めて合理的な結論を出した当時の私は堂々と、しかも何度もそれを続けた。

当然、問題が発生した。しかもちょっとこじれた訳である。
私がカンニングをしていることを見つけたのが、何かにつけて私を目の敵にしていた輩とその友。ミッションスクールだったので、当然同級生には牧師の子息がきわめて多くおり、その友が、学内外で有名な某牧師の子。参考までに述べると、ミッションスクールで牧師の子息の権力は実に凄まじいものがある。
たちまち学年全体の知れ渡ることとなり、私は、いわゆる「つるされた」訳である。剣道部キャプテンだった私に対して暴力は極力避けられていたのがせめてもの救いだった。いずれにせよ悪いのは全く私自身であって、他の誰でもない。私を目の敵にしていた輩も、その理由も元を正せば私が全く悪い。

ここで少し余談を赦されたい。
実はこの二人はごく最近まで私の夢の歴代最高の悪役としてレギュラー出演していた。彼らが夢に登場すると極めて悪態を寝言で吐くようで、私はそれを聞かれた婚約者に逃げられた経験すらある。

母に相談すると、母は敬虔な宗教家故に、それこそ今までの未熟ではあるが私自身の宗教観で克服すべきだと言われ、それならばと、「汝の敵」のために祈りはじめたわけである。

「千里の堤も蟻の穴から」

とはよく言ったもので、毎晩毎晩、どこに行っても、スペインであっても、デンマークでも、イタリアでも、フランスでも、アメリカでも、ドイツでも、眠る前に彼らのために幸あれと祈った。

最初はいい加減だったし、また腹も立った。しかし兎に角祈りを続けた。

悪役レギュラー出演の契約は実に高校卒業後幾十年目にして満了し、素晴らしいフィナーレが行われ、二度と見ることが無くなっただけでない。もやが晴れ、解き放たれた感じが続いている。
私も弱い人間であって、ちょっとでも油断すると、サタンという名のマネージャーが彼ら黄金レギュラーメンバーにコンタクトを取り始める。祈りに終わりはないという訳である。

カンニングの話に戻すと、私はそれまでのイメージを完全に破壊されてしまった。友は一斉に離れていった。異性云々以前の問題だ。ただしその理科を教えていた先生は、懇談会の時、私を徹底的に褒め称えと後で聞いた。極めて決まりが悪かった。なぜ先生が私を褒めたのか、無論私の愚行一切を知らないことは明白だが、それにしても、両親の談だと、本当に大変なお気に入りだったようだ。本来なら私もその懇談会に居るはずなのだが、当然嘘は次の嘘を作っていっている最中だったわけだ。


さて、Oは「ならがえて」いる。今のOの存在だけで、私は自分の恥部を鮮明に思いだし、また再び今夜も祈らないといけない。

人は、世は、Oの周りの人は、誰が完全無欠なのか。どうしてOだけを「十字架」に付け、自分たちは眺めているのだ。

今私がしてほしいこと、それは小保方晴子さんの謝罪や撤回ではない。


関係者や、彼女をつるした日米他マスコミ報道者、一人ずつが、Oという島国の女を十字架からおろし、自分たちがOに負わした「十字架」を自分の「十字架」として、「各々の恥部という名の十字架」として、それを負い、世の前に進み出ることだ。

誰一人、小保方晴子さんを責めることはできない。

もし未だに責めていたなら、責めたいならば、その人は「完全無欠」に向かってゆく、ドン・キホーテの亡霊である。

彼女を責める、その憤りの先には、残忍さ溢れる孤独死だけが貴方を待っている。
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# by masatonet | 2014-04-17 22:13 | ヒトリゴト日記

世の中の普遍化に疑問を感じる

先日、時代外れのスポーツカーに試乗して以来、いろいろ考えることが増えたように思う。

特に環境問題が表面化してきたころから、エコが叫ばれるようになり、環境保全の元で省エネ名目の普遍化が圧倒的に生活へ浸透したように感じる。

教育では「放任」を「個性化」とはき違えた無知な親が増えたことは愚かなことだが、工業製品は一斉に個性的なものから普遍的なもの(省エネ、効率化重視)へ舵を取り始めたのだ。

たしかに60年代から70年代、そして80年代、バブルが始まる直前まで、やり過ぎたことは否定しない。エネルギーも使いまくり、環境も汚しまくり一辺倒で、まさに「調子に乗りすぎた」ではすまされないレベルの浪費を社会全体が良しとしていた。ガイアが「時速40キロ制限でお願いします。ならば、皆が満足してゆったりと暮らせます」と言っているのに、我々工業先進国は「時速500キロで飛ばしあげろ!いやもっと出せるかも知れんぞ!!」と滅茶苦茶をした訳である。そのあまりの暴走にガイアの警備隊も我々を停止させることは出来なく、ある意味「自滅してもらうしか手がない」と放任されてしまったのだ。そんな日本の生活スタイルの変化に追い打ちをかけたのは、やはり欧米の「反もったいない発想」とも言うべき使い捨て文化だ。

そして行き着いた所、いやまだ行き着いていないのだろう。格差がますます広がり、持つ人と持たない人の間、いや持つことに意味を感じない人との間の意識の差が果てしなく広がっていく社会がすぐ直前まできている。

高級とは「静けさ」だと筆者は思っている。これは独断なので反論もあるだろうが、あくまでも私個人の見解だと、高級品と普及品の違いは「静けさ」と「その演出」に他ならない。

高級ホテルのロイヤルスイート。極めて静かである。そしてVIPにはレストランも貸し切りになる。そこには超高額な「静かさ」が提供される。当然だが、ただ単に「シーン」と静まりかえっているのではない。心地よい「静かさ」が人工的に演出されるわけだ。

高級車。価格の差はまさに「静かさ」以外にないと言っても良い。車外の雑音の「処理」の仕方がちがうのだ。当然ただ密室にして音を閉め出しているのではない。

高速道路を時速120キロで走行した場合、メルセデスベンツでは通常の話し声で後部座席に乗った人と話が出来る。プリウスではそうはいかない(笑)。

私の趣味であるオーディオだと、価格差が音質差となることは必死だ。そして音質差は「静かさの演出法」の差という訳だ。
オーディオとはほど遠い世界に生きている近所の老婦人達に私のオーディオシステムで音楽を聴いてもらったことがある。ある80歳に近い婦人がポツリと
「部屋や窓が揺れるくらいの大きな音を聴いているにもかかわらず、音自体がとても静かですねぇ」と呟いた。私は思わず嬉しくなり「いや、ひと言で核心を突かれてしまいました」と返事したことを覚えている。

お金を掛けてゆくと、結局は「静けさの演出」へ行き着く。

車だと、マイバッハとフェラーリを比較するとその「演出」がまるで違うことは火を見るよりも明らかだろう。
オーディオだと、TADフルシステムとゴールドムンドフルシステムを比較しても明らかなのは「音と音の間の無音の演出差」と言いきっても良い。音楽を聴いているのに実は「無音時から来る感動」を期待しているわけだから実に愉快だ。

ピアノを弾いていると、アタックの後にどのくらい「溜め」を持ってきて空間に音を広げていくかが味となる故に、休符は単なるお休みでは無く、「無音の演出」を必死にしているわけだ。

地元のセミプロオーケストラとアムステルダムコンセルトヘボウが同じ曲を同じホールで近い時期に演奏したことがあり、とても有意義な経験が出来た。

地元オーケストラだと、なにかと騒がしい感が終始ある。なにか落ち着かない。
しかしコンセルトヘボウは無から湧き出て、そして無に帰る演奏だ。音が消えていく時に感動で涙がドッと溢れる。どれだけFFで終わっても音が無音に向かうのが明らかに解る。それが超プロと言われる由縁だなと改めて実感できた。


さて、その普遍化の問題だが、最近になり工業製品がことごとく個性的で無くなってきている。
先日、新型のラウンドクルーザープラドを試乗して、改めてそれを痛感した。
あれは四駆車ではない。ただ単に車高が高い高級セダンだ。これならセダンを買えば良いではないかと言いたくなってくる。ショールームにはレクサス車のカタログが派手に置かれていた。その中から四駆タイプ(以前のハリヤー)を探すのに苦労した。カタログのデザインもさることながら、車のデザインがどの価格帯でも「ほぼ同じ」だから。

なんでも省エネの影響か、エコの影響かはわからないが、四駆車のスピードメーターにも「Eco走行」ランプが点灯する。う〜む、Ecoを気にするのであれば、初めから四駆車など買ったり乗り回すこと自体笑止なのではと思うのであるが。

ゴツゴツした乗り心地、そして四駆車らしいパワフルな走り、これこそ四駆車だ!という感は皆無で、言い過ぎかも知れないが、マークXの車高を高くして4WDにしたという感じ。車内の作りや静けさ、アクセルワークのスムーズさ、どれを取っても「いわゆる四駆車」では全くなく、「車高が高いセダン」に他ならない。

へえ〜最近トヨタもこんなデザインの車を出したんだね、、と思ってよく見たらベンツだった。
お〜お、流石ベンツだな、堂々としたもんだよ、、と思ってよく見たらレクサスだった。
なんて、別に僕の目がおかしくなったわけでは無い。


100%個性が失われた訳である。時代がそれを求めている。やり過ぎた過去の埋め合わせは当然しなければならないが、我々の個性も「害」として排除する必要があるのか。

デジタル時代の最高にして最大の病巣
「個性を普遍化し、エコやらの仮面を被り、100人いれば100人とも同じ顔にすることに疑問を生じさせない利便性で個性溢れる思考回路を完全に麻痺にさせる」

これに今後我々はどのように対応して行く必要があるのだろうか。
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# by masatonet | 2012-11-12 22:11 | ヒトリゴト日記

追いやってそんなに楽しいのか?

とかく、人はなにかと「分類」したがる。

学校に行かないと「不登校」とする
成績(特に学業)の高低で「優秀」「劣等」とする
いつも母親と一緒に居ると「マザコン」とする
学校が終わりどこにも行かないと「ひきこもり」やら「ニート」とする
やたらチャラチャラした服装や装飾品を身に付け年齢が親子ほど離れた異性をつれていると「成金」やら「ロリコン」とする。
いい歳して独身でいると、「パラサイトシングル」やら「行かず後家」やら「アラXX」とする
離婚して親元に帰ってくると「出戻り」とする
40歳過ぎて初産やら結婚やらすると、やれ「晩婚」やら「高齢出産」とする。


概ね、社会学者やそれに準じる自称インテリ達がそう「分類」するのだ。
分類しないと研究対象として取り上げにくいのだが、過剰な分類ははっきり言って必要悪だ。

じつに五月蝿すぎて冷静な判断を許さない雰囲気を作っている。馬鹿げている。

分類する人は、そうやって彼らが勝手に作った「中心」より外れた人達を「追いこみ」「十把一絡げ」にすることを平気でする。

まず日本人は、そう言った過剰な分類を止めるべきだ。
もうすこし静かに生きることを良しと出来ないのだろうか?

「まとも」「まもとじゃない」というけれど、一体それはなにを基準に言っているのか。単に税金を払っているか云々ではないのか!

考えると、世の中が上記のように分類して批判している人達はこぞって「税金逃れ」をしている人達のような気がしてならない。とくに過剰に煽る「結婚に関する云々」などは最たる所だ。

まさに、カネが中心の社会なのは周知の事実だが、カネカネカネ言っていると、今度は「拝金主義」と言い出す始末。なにを目指して生きているのか。

一体、この国は国民を幸せにしようとしているのか、追いやろうとしているのか全く不明。
現時点だと、「可能性が高い人達をドンドン精神的に追い込んで行き、ますます事態を悪化させ、ひいては国自身、自分の首を絞めることになる」のは火を見るよりも明らかだ。
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# by masatonet | 2012-11-05 10:40 | ヒトリゴト日記

TOYOTA86

オトコなら「結婚する前にやっておきたい羽目外し」は一つや二つはあるはず。もっとも、そうは言ってもゲームやら萌えアニメだけに生きている人種には想像もつかないだろうが。
今日も、行きつけの喫茶店でいい歳した白髪のオッサンがNintendo3DSでゲームをしていた。私は自称コアゲーマー(ネトゲ歴7年ならそういっても良いだろう)だが(だったが)、夫婦で喫茶店に来て、白髪で無精ヒゲを生やしてまでお子様用ゲーム機DSのゲームをしようとは全く思わない。恥ずかしくて出来ないのが本音だ。つまりそのオッサンらは羞恥心など全くないのだろうが、ともかく哀れに見えてくるのは私だけではないろう。

おっと、つい横道に逸れてしまった。その「結婚前の羽目外し」だか、

1,経済性とはほど遠い高価な物品を買う
2,徹夜で他の独身女性達とワーワー騒ぐ
3,自宅で部屋を複数占領して趣味を楽しむ
4,一人旅に気ままな出て、気ままに時を過ごす
等々

個人的に「2」は一度も実践したことはない(笑)。「3」はここ数年実践中で、「1」も、まあ程よく(笑)やっているが、今回は「1」に準じたことをやってみようとしている。
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TOYOTA86というスポーツカーが発売されて久しい。若者の車離れが嘆かれている(実際なんで嘆くのか分からないが(笑))にもかかわらず、世界のトヨタがスポーツカーを発売したのだ。発売されてまだ数ヶ月しか経っていないから売れ行き等今後の動向が気になるが、トヨタ社員は価格が手ごろである故に結構乗っているようだ。

後部座席は一度座ると身動きがほぼ取れないくらい狭い
燃費のことは初めから考えない(笑)
環境に優しいと言うことも初めから考えない(笑)
つまり「運転が楽しい」という事以外は考えてはいけない

と、まさに「時代」に、「家族生活」に逆行している車、それがスポーツカーである。

MT(マニュアル)車を試乗したいとディーラーへ依頼。試乗車は準備できず、トヨタ社員の車を借りる形で試乗をした。色はオレンジ。昔、TOYOTA2000GTやらセリカXX2800GTやらに乗っていた我が一家は、車高の低さには抵抗なく対応できたが、後部座席の狭さはセリカとは比べられないくらい狭かった。

実際走ってみると、、、案の定、5年以上もMTから離れていると、全くダメ。辛うじてエンスト連発やらノッキング連発からは逃れたが、クラッチを離すタイミングが至難。一速に入りづらいし、後部座席に載った営業マンは冷や汗でビッショリ(爆)。助手席には家族を乗せたが、私の3速発進やら時速70キロでいきなり1速に落としての高回転させたエンジン音ですっかり恐れ戦いてしまったよう。数分の試乗後、エンジン(おそらくクラッチ板)が焼けるにおい!?が・・・。車を提供してくれた社員の方に改めてお詫び致します。

「やはり、あの〜、AT車を準備致しますので〜、その〜」と営業マンもドギマギ。「そうですね、ヨロシク!」と軽く流したが、MT車は極めて面白かった。半年くらい練習しないとちょっと危ないかも知れないが(笑)、あの「操作感」「支配感」は爽快そのものだ。

AT車がやってきた。やはりトヨタ社員の車。色はホワイト。父はレッドが良いと盛んに言っているが、ホワイトも悪くない。上品な感じが漂っている、、、って、もう買うつもりなのか!?(笑)

アクセルフィーリングが極めて楽しいのはスポーツ車ならでは。アクセルを踏むと極めて敏感に反応してくる。また必要以上に「エンジン音」が溢れてくる。AT仕様でも(当然MTほどではないが)充分その楽しさが味わえるのが流石はトヨタ製。以前デートでミニクーパーを試乗したことがあったが、あれとは比べものにならないほど「楽しい操舵感」を堪能できた。試乗コースは「大」「中」「小」の内、「大」。とは言っても10分程度なので、大きな事は言えないが、包むようなシート感、車と一体になったようなハンドリングとアクセルフィーリング、実に何十年ぶりに「楽しいかった」と言えるドライビングが出来たことは言うまでもない。レンタカーで半日くらい乗ってみたいのが本音だ。首都圏やら近畿地方では86のレンタカーがあるようでなんとも羨ましい。

コンビニやらファミレスやら、「よろしかったっす」「ふつ〜にゲンキ」「どんだけぇ〜」等々の日本語に溢れた低脳なテレビ番組やらに洗脳された日本の若者からは完全に失われたメカへの愛。「機械と肉体が直感的に結びつく快感」を100%刺激できる車、それがTOYOTA86だった。

10年後も販売を続けているだろうか、甚だ心配だが、トヨタのような大企業が極少数派に向けて低価格でこのようなスポーツカーを発売したこと自体エールを送りたい。

なにはともあれ、久しぶりに「買いたい!」「実際買える金額だけれど、このご時世で、ここまでぶっ飛んで遊んでしまって良いのだろうか」と真剣に考えさせる車であった。

やはり気になるのはMT車を提供してくれた社員の方へ、半クラによる「焼け」を起こしてしまった事を改めてお詫びしますm(_ _)m。
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# by masatonet | 2012-10-27 21:34 | ヒトリゴト日記

結婚について考える(その2)

世の中、これほどまでに価値観が多様化していたことは人類史上今までない。
家電がここまで日常生活に浸透し、パーソナルコンピューター(携帯電話)を肌身離さず使う現代人。地球上の全ての国が同じ物質文明国で、豊かではないにもかかわらず、電子文明化の波がアマゾンの奥地にまで「価値観の多様化」を伝えている。

とは言え、未だに40年前のカビの生えた価値感上から動こうとしない人々が多くいるのも確かだ。

「ようやく息子(娘)も落ち着き、親として安心しております。」
「初宮をすませ、おじいちゃんとおばあちゃんが・・・」
「息子の太郎もお世話になった頃はハナタレでしたが、あれも結婚して・・」
「!!!子供が生まれました!!!」
等々

はっきり言うと、そんなどうでも良いことには興味ありません。
貴方の近況にだけは興味ありますが・・。

もう一度言うと、
多様化した価値観がうごめく現代に生きていて、独身やら結婚やら、孫やら、子供やら、そんなことどうでも良いのだ。不変不滅な価値があるのは「死」くらいで、それ以外はいちいち報告するまでもない。「それだけが人生ではない」時代が完全に到来しているからだ。そればかりワーワーギャーギャー言っている人達が馬鹿者にすら見えてくる。「哀れだな」と思っているようだが、フタを開けるとそう思われているのは実は「哀れだ」と思っている貴方の方だ。お気づきだろうか?

 もっとも、平素からお世話になっているならば報告くらいしないと失礼だろうが、それでもしつこい。ちょっと触れれば良いのに、何度も何度もくどい。「あんたね、他に喜びないの?」ってゆっくり目を見つめて問いたい。自分の子がセックスするようになって、合法的なセックス相手を見つけて喜ぶのはあんただけで結構。こっちはもっともっと人生エンジョイしているから貴方自身やら、貴方の子供のくだらない「痴話話」には興味一切なし。気持ち悪い。もっとも後進国では他に喜びがないが故に未だにセックスだけがはびこり、子供ばかり出来ているようだが、まったくその次元で止まっている。なんともはや、時代を逆行しているというか、ため息すら洩れない。本当に同じ時代で同じ国に住んでいるのだろうかと真面目に疑ってしまうのはなにもこの文章の筆者である私だけではないだろう。

 驚きは、いきなり出し抜けに十数年ぶりに便りやら電話を掛けてきて、式に出てくれをお願いするにしても、子供が生まれたにしても、
突然、阿呆なくらいテンションが高いまま、気狂いそのもので
「OOさん、おられますか!!!!!!?」
「家族のものですが、ご伝言を承りますが・・・・」
「いや、個人的なことですので」
なんて厚かましいことこの上ない。
なにが「個人的」だ。大体あんた自身がこちらの様子を伺うのが礼儀なのに、それを全くせず、自分の後進国的価値観を押しつけてくるので、もはや夜中の暴走族より始末が悪い。

前に触れた「甥甥、姪姪の行かず後家」にも当てはまるが、
全身が歪んでいる。いわんや心をや。


また再び言うが、

全ての人は、同じ価値観で生きているのではない。

 いきなり待ちで出会った見知らぬ人に自分の趣味の盆栽について詳しく話すのが迷惑であるのは周知の事実であるが、自分の興味あることは相手も興味あるはずだなんて、まったく小学校低学年レベルだ。押しつけも甚だしく、厚かましさを通り越して敵意さえ感じる。それに近いことをいきなりの電話や手紙でやっている愚かなカビの生えた人達が多いこと、実に腹立たしい。

 五十代で初めての子供を授かる女性が増えてくる時代なのだ。そんな時代に生きて、20,30,40で独身であることを哀れんでいるなら、それを哀れんでいる貴方を心から哀れみたい。と言うよりそんな人との縁は一刻も早く切りたい。小学、中学、高校、大学、入社、結婚、最初の昇進がすべて二十五歳までに終わっている時代は完全に終焉を迎えた。

 そのように進んでいない人を見ると、まるで動物園の動物を見るかのように哀れむような目つきでジロジロ見るが、正直なところ、ジロジロ見ている貴方には逆立ちしても理解できない価値観で生きている人々が、日々増えていって、その内、貴方のような人が最も嫌悪の対象になることを覚悟しておかれたい。
 幸か不幸か、全ては自分と同じ価値観しかないと思い、平気に孫の写真や話を家族以外の人にする人達は、その価値観が揺らぐことが極めて少ない。田舎に住む井の中の蛙であるジジババ(若い人でも)に価値観の拡大なんて不可能なのだ。ただ、不幸にしてその価値観が揺らげば、それが人生のいつであれ、大いに悩み苦しむことになるだろう。
 そして皆に嫌われ、子がいようが、孫がいようが、婿がいようが、嫁がいようが、孤独に死んでいく。それが21世紀であることをしっかり理解されたし。
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# by masatonet | 2012-08-10 20:40 | ヒトリゴト日記

断ちモノはエコ願い

「願断ち」というものがある。

「おっとうの病気を治してくだせえ。治るまで、あっしは、でえすきな魚を断ちやす」
なんて、よく時代劇に出てくるようなありふれた民間信仰の一つだ。

イワシの頭も信心から・・・ではないが、最近になって「願断ち」はもしかすると精神界のエコではないかと考えるようになった。

ドラえもんの道具でも「断ちもの願」に関するものが出てくるが、たしかに「自分がとっても好きなモノを断つ」事に意味があるので、好きでも何ともないモノを断ったところで意味がないくらい誰でも分かる。この誰でも分かる・・というところが面白い。

XXXXするまで、OOOをやめる

私も最近になって、願断ちを始めた。

何を断って、何に願を掛けたかは「ひみつ」だが、
いずれにしても、私は三度の飯より好きな「こと」をきっぱり断ったのだ。

願い事が叶ったら、
その時、ここにその「願」はなんだったのか、そして「何を断った」のかを明らかにする。

なにせ自分のコンセントレーションエネルギーが100%、断ったモノ(大好きなモノ)から離れるのだから、願い事が叶う可能性も圧倒的に増えるというものだ。これは極めて合理的だし、なにしろ実に理にかなっている。

まさに未来永劫、願断ちは「エコ願い」ではないだろうか。
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# by masatonet | 2012-07-30 20:22 | ヒトリゴト日記

結婚について考える(その1)

独身は罪なのか?
「ひとり者」は可哀想なのか?

インターネットを閲覧していると、バナーで「結婚診断?アラサー、アラフォー決別」とかいう宣伝が莫大に増えた。「うっそ!私の年収低すぎ・・」バナーも多いが(笑)。
つまり、独身が多い。そしてその殆どが結婚したいのだ。
ただ、結婚って、婚活みたく、自分でどうこうできる問題なのだろうかと、ふと考えた。

人間、生まれるのも死ぬのも自分の意志ではない。
しかし、我々人類はドンドン傲慢になってきて、生死を操ろうとし始めている。

なんでも思うようにしたい。

より良い人生を生きるために良き伴侶を得て共に協力しあう
そのための結婚であるべき。

しかし、目的が「結婚そのもの」になっているのは明らかにおかしい。

人間性をより深めるために大学に行く、そのために受験勉強をするのである。

しかし、目的が「受験合格そのもの」になっている。これがおかしいのと同じだ。


なにかに陶酔したいのだろう。訳が分からず闇雲に日々生きていると「目印」が欲しいのか。しかしこれらは「あくま」で「目印」であり、「通過地点」であるだけで、目的では決してない。

結婚
出産
合格
入社

それそのものは全く特別の出来事ではない。
しかし、それをなんだか特別視させようと仕向ける世の中の連中は滑稽だ。

どの合格者レポートに、
結婚成功カップルレポートに、
入社秘訣レポートに、

「私は、(結婚・出産・合格・入社)後、以前に比べてXXXXXも日常生活が過ごしやすくなり、視野が広がり、OOOOの点で以前より充実したと思う」などがあるだろうか。
まず、あり得ない。健康食品購入者レポートは逆に、そのような内容ばかり載っている。なぜなら、皆、その「効果」に関心があるからだ。


故に、私は問いたい。貴方に率直に問いたい。
結婚
出産
合格
入社
して、貴方はどう変わったか。何を得たか、そして何を失ったか。

そして、それに続けてこうも尋ねたい。
貴方が
結婚
出産
合格
入社
前にあった自分の問題は、その後解決したか?もししたのなら、間違いなく新たに発生した問題と天秤に掛け、どちらが貴方により負荷を掛けているかと。


(つづく)
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# by masatonet | 2012-07-20 20:08 | ヒトリゴト日記

独身女が異常にまで可愛がる甥・姪

最近になって、独身女と話すことが異常なほど増えた気がする。
どう見ても意識過剰な彼女らに対して「結婚」の「け」の字も触れることなく話を続けるのはなんだか不自然極まりないが、
本音は「絶対に結婚したい」のに
「興味ありません」とか
「理想の人がいないので」とか
「価値感が合わないで苦労するよりも一人のが気楽」等々、
好き勝手なことをペラペラ平気で男子に話す。
奥ゆかしいなんて死語だなと痛感。
「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿はユリの花」
なんてもう伝説になってしまった。
実に困ったものである。

ここ10年くらいで倍とまではいかないにしても、独身女はまるで男のように振る舞い始めているようだ。自分の趣味に走ったり、「まじ、うざぁ」「死ね」等の汚い言葉を平気で使う。
化粧をしたり、ブランドで身を包む前に、自分の言葉使いをただして欲しい。

姉妹でも、大抵は、ワガママな姉は行かず後家、ワガママな姉に鍛えられた(笑)妹には赤ちゃんがドンドン生まれる。
こんな例、私の周辺で意外と多く見かける。
まあ、行かず後家は別に姉妹だけで起こっているのではない。兄妹でもしかり。兄弟で一方が早婚、もう一方が未婚・晩婚という例も増えているようだ。

しかも、最近になり目に余る現象。
行かず後家たちが、甥や姪を自分の子供のように(実際彼女らは子供がいないのだが)「狂ったように」可愛がるのだ。
私が最近会った行かず後家たちがした振る舞いでは次のようなものがあった。

1,やたらに、甥や姪の写真を見せて自慢してくる。
2,話をしていると四六時中「あの日は甥っ子と一緒に・・」とか「姪っ子が熱を出して・・」と、とにかく「おいめいおいめい」言っている。そもそも「姪っ子」「甥っ子」ってなんなのよ。まるでペットだ。いやまだペットのほうがよほどマシか(爆)。
3,携帯電話の待ち受けに甥や姪の写真を入れて、それを見るたびに、にまにましている。
4,甥や姪の仕草を事細かに説明し、「可愛いでしょ、可愛いでしょ」と執拗に同意を求めてくる。
5,挙げ句の果てには、甥や姪と一緒に写った写真を年賀状や暑中見舞いに使ってくる。
6,自分が「ひとり者」であることを強みに(笑)、常識では考えられないくらい高額なオモチャやぬいぐるみ、子供服などをドンドン構わずプレゼントする。
等々

まあ、行かず後家達も必死だ。なにかを可愛がりたいのだろうが、その程度が甚だしい。そのような無責任なかわいがり方を続けてはますます行かず後家に拍車が掛かること必死だろう。そんなに甥や姪が大切なら、あんたが育てたらと言いたくなるほどだ。呆れるよりも気持ちが悪くなってくる。

つい先日も、「めいめい」言っている行かず後家に思わず
「子育て大変だね、でもご主人にも協力してもらわないとね」
とウッカリ言いそうになったくらいだ。
話を聞いている方も注意しないと危険極まりない。
しかもこの現象、およそどの国の「行かず後家」でも同じようだ。
まあ、「結婚」という最高にして最大の問題から逃げたいのだろうが、あんたの子の話ならともかく、どうでもよい甥や姪の話を聞かされ続けるこっちは実に迷惑千万だ。なんせ、とにかく気を遣ってしまう。あんたのくだらない「おいめい」談のためにこちらがきまりが悪くなるなんて馬鹿げている。まだ、延びに延びたカップラーメンでも食べていた方がよほどマシだ。


「自分勝手に追っかけファンの延長で男を一方的に好きになるんじゃなくて、貴方自身が好かれる女になりなさい、そうなるように努力しなさい」
「甥や姪はあんたの子じゃない。まず自分の恋愛のことを考えなさい」
「自分の子供をまず産もうね。そのためにはゴタゴタ言っていないで結婚しなさい」
「貴方は男ではありません。適齢期過ぎてもやけくそにならないで自分相応の相手を一刻も早く見つけなさい。そして素直に、「結婚したいです」と言いなさい。ひん曲がっているとひん曲がった人生しか送れません」
「貴方の周りのステキな男性は「間違いなく」、「おいめいおいめい」言っているおバンな貴方を極めて嫌う。そして、挙げ句の果てには、近い将来その甥や姪にも「間違いなく」馬鹿にされる。「あ、もてなかったおばちゃんだ」「おばちゃん、なんでひとりなの?、なんでなんで!」と」
等々、
「おいめいおいめい」
「おいっこがねぇ〜」
「めいっこがぁ〜」
と絶えず言っている行かず後家達に対して
イイタイコトは山のようにあるが、
こんなこと直接面と向かっては口が裂けても言えない(爆)
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# by masatonet | 2012-07-14 11:02 | ヒトリゴト日記

狂日本語「たのむからやめてくれ」番外編

最近、変な日本語が多すぎる。その大半は、言語力低下の大人が作った物。
誰かが言い始め(大半は馬鹿な芸能人だろうが)、一気に広がって行く。

今回は番外編。

まずこの地図を見てもらいたい。
b0063673_18462179.jpg


大型家電量販店の新館が6月22日にオープンするようで、そのチラシ背面に載っていたもの。

もしかすると、何がおかしいか分からない人もいるだろう。
そういう人は学歴云々以前の問題。

私は、最初この地図を見たとき、「うわっ! 気持ちが悪い」と思った。
パチンコ店等の地図ではよく見かけるが

地図上で店舗や店名に

「ローソンさん」
「そごうさん」
「広島銀行さん」

など「さん」をつける。
愚の骨頂と言うよりMAKE ME GROSS AS EPICである。

こんな低脳きわまる地図を大量に印刷し、ばらまいている。
「はっ!これだから中卒は困る」とか
「高卒だからな」とか、
そんなくだらない問題ではない。小学生でも気持ち悪がっている。

まさに、

非常識!!!!!!!

である。

「たのむからやめてくれ!!」

と叫ぶ前に

このような「非常機」「低脳」きわまる企業が地元で存在し
上記のような地図を平然と印刷しDMとして大量に配っていること
それ自体が深刻な問題であることは間違いない。

このような地図を配る「大型」家電量販店で
「よろしかったですか」とか
「こちら商品になります」とか
「こちらの携帯電話では写メが撮れます」等々の
現代低脳語が多用されても、すくなくとも私はもう驚かない。

この地図を作った担当者は、即クビ
だけでは問題は解決できない。

印刷所もこの「さん」付けを良しとし印刷に踏み切った。

一体、世の中どうなっているのか。

言うまでも無いが

なぜ地図に「さん付け」が必要ないか
当然、小学生でも知っている。

呆れてしまって、ため息どころか
茫然と呆気にとられてしまった。

むしろ

「こちらハンバーグになります」
「ご注文は以上でよろしかったですか」
の方がまだましに思えてくるくらいだ。
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# by masatonet | 2012-06-19 18:51 | ヒトリゴト日記

(アニメ)太陽の王子ホルスの大冒険

1968年に発表された日本のアニメーション映画。
いや活動動画と言うべきか。
野比のび太声で有名な小原乃梨子、当時20代として実に若々しい声優として出ているだけでなく、
東野栄二郎、
市原悦子等々
なんとも豪華な声優陣。
個人的に美しい女の子の声を市原悦子がやっているのが一番引っかかった(笑)。

ストーリーは至極ありふれたものだが、手書きのアニメでよくここまで表現できたなと感動を覚える。

宮崎駿、高畑勲という日本を代表するアニメクリエーターの勃起期的な作品であることは否定できない。同時に60年代でここまでの活動動画を作ることが出来た意味は極めて大きい。

最近欧米や韓国等で流行っているレベルのものとは、申し訳ないが桁が違う。

日本が世界に誇るべき活動動画の原点。
アニメーションを学ぶにはまずここから見るべきであることは言うまでも無いだろう。
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# by masatonet | 2012-04-15 21:18 | ヒトリゴト日記

狂日本語:「たのむからやめてくれ」第7回

最近、変な日本語が多すぎる。その大半は、言語力低下の大人が作った物。
誰かが言い始め(大半は馬鹿な芸能人だろうが)、一気に広がって行く。

ここ数日で特に気になったうちで我慢できなかったものは

「そうなんですね」

以下会話(外交員:G 私:M)

G:外壁塗装のセールスです。
M:宣伝用チラシがございましたらポストへ入れておいて下さい
G:あの、私工事部のものなんで、チラシを持っていないので直接ご説明を・・
(アホウである。人の時間をなんだと思っているのか)
M:今、取り込み中ですから
G:そうなんですね
M:・・・・・・


そうなんですね・・・。どうしてこんな「人を愚弄する言葉」を平気で使えるのか。ここ半年で非常に増えた。子供だけではない。大人の国語力が低下してきた。ITの弊害だ。

そうなんですねぇ・・。なにがそうなのか!(笑)まったく馬鹿馬鹿しい。同意を求めているのか、意味不明に同調したいのだろうが、低脳な人間ほど、「そうなんですね」「なるほどですねぇ」などと自分の無知をボカす言葉を使うことに長けている。


そうなんですねぇぇ〜。

たのむからやめてくれ!!
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# by masatonet | 2012-03-11 10:56 | ヒトリゴト日記

IT業界に趣味を吸い取られた人達

一体何が起こったのか。
情報革命って人権侵害なのか。

コンピューターと言われてるものが、「パソコン」と変わり、電話が「固定電話」と変わった現在、
人たちは何を右往左往しているのだろうか。

テレビが茶の間に入って来て、家族の団欒をぶっ壊したのと同じに、
携帯電話の通話代と新機種乗換だけで毎月1万か2万もかかる。パソコン本体の更新も必要!?
これでは、若い世代は、趣味らしい趣味を持とうとすると必然的にITから遠ざかる生活を余儀なくされる。考えることが出来ない人たちは、当然のようにITへ投資し続けている。

IT業界へ金が動きすぎだ。

孫正義が東北震災へ1000億円寄付した是非はともかく、スティーブジョブズがアップル社を世界一の時価総額の企業に育てたのも、

現代人が、
ITに盲目的になりすぎているからではないだろうか。

かくいうこのようなブログもその渦中にある。まさに笑止。

豊かに様々な価値観がドンドン生まれてくるはずの今世紀。
ITというたかがツールであり手段であるものに、それが、それを持つことが目的になっている現代人。
馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

まさにこのIT時代は無駄なゲームをやり続けているのと同じだ。
情報を得たり、オンラインで人と知り合ったりすることがそれほど大切なのか。

もっと、自己を、己一人で磨くことが必要なのではないだろうか。

さもすると、そのくだらない渦に飲み込まれそうになってしまいがちだが、
毎日毎日、自分に戻る必要がある。

そのために、音楽を聞く。演奏する。
デジタル時代に「個性の崩壊」という点で大きく警鐘を鳴らしたい。
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# by masatonet | 2012-03-07 18:30 | ヒトリゴト日記

がんばれ日本!

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本年は素晴らしいことがあります。
去年あれだけ大変だったからです。
間違いありません!
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# by masatonet | 2012-01-01 21:36 | 掲示板

Intel MacでClassic環境を動かす

ちょっと初期設定に時間がかかりました。
が、

ほら、この通り!
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sheepshaverを使えば
IntelMacでもOS8.5をエミュレート出来そうです。

古いアプリを復活できます。


感謝
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# by masatonet | 2011-12-14 09:43 | Macフリーカー

あんたら一体何者?

某別紙で好評だった内容を省略して転載。
私がいつも疑問に思っていることをそのまま綴る。

私の近所でいつも毎週土日に帰ってきている40代女性。
子供を連れて実家に毎週帰っているのである。
この時点で疑問が起こらない貴方はすでに奇人。
大体離婚直前ならともかく、結婚後どうして女が毎週毎週実家に帰るのか。
親より大きい車を買ってローンにおわれているのだろうか?
たしかにその女もその実家にいつも停めてある車の2倍くらい大きな車に乗っている。家の駐車場には実家の車が駐めてあるので、路上駐車をせざるを得ない。馬鹿にでかいので横を通りづらいことこの上ない。ただここで問いたいことはそんなくだらない駐禁の問題や愚かなローンの問題ではない。

どうして、婿養子でなく、嫁いだ女が実家に子供を連れて毎週帰ってくるのか

である。
聞くところによると、結婚後夫と共にかどうかはともかく、離婚をするわけでもないのに妻となった女性が彼女の実家に毎週、場合によると毎日?!帰ることが多いようだ。

だって、あんたら嫁いだんでしょ?!
本当に、と・つ・い・だ・の?

って聞きたくなるほど怪奇な現象が見て取れる。別に独身族らを哀れむ暇があったら既婚者達のその怪奇現象も徹底的に調べて欲しいと切望するわけだ。

すでに夫の「家」に嫁ぐという発想は完全に崩壊しつつある。
そもそも既婚女性が子供を連れて毎週実家に大型車に乗ってニコニコしながら帰ってくる。しかも、馬鹿な実家のジジ、ババが大声で「じゃあね!また来週来てね、おばあちゃん待ってるからね!!」なんて大声で叫んでいる。

これが毎週行われる。周りにはばかることなく路上駐車し、大声で騒ぐ。盆正月なら分かるが、それが毎週行われると

あの女は、出戻ったのか

と思わせるが、実際はそうではない。夫も連れて帰ってくる。皆でワイワイ騒いでいる。一緒にファミレスに行く。遊園地に行く。

え?!

である。

しかもその実家のババに言わせると
「妻の実家に婿と孫を連れて帰ってくる。それが家族にとって一番良いのよ」
なんてほざいている。

ち、ち、ちょっと待て!!

ということは、今のサラリーマン夫婦の大半は妻の実家を中心に運営されていて、夫はまさに

人質

な訳である。しかも不幸かな。その夫の不甲斐なさと言ったら無い。妻の尻の下に敷かれるのに終わらず妻の実家にもしっかり気を遣いまくる。確かに気を遣うこと「だけ」は上手い。なぜって、毎日会社で上司や得意先にやっているように妻の実家で振る舞えば良いわけだ。

しかもこの話はこれで終わらない。

その夫の実家がありふれたサラリーマンで妻の実家もそうならどんぐりの背比べだろう。
しかしそうでない場合もある。

夫の実家はそれなりの旧家。妻の実家は大したことない。ただ、結婚式でははったりで名門校だの一流商社だのとまるで自慢大会を繰り広げた結果、不幸にも旧家側が一歩退いたとしよう。
後は、嫁の独壇場。まして子供でも出来たら完全に嫁の実家に入り浸り。

だって、あんた夫の姓になったんでしょ? 夫の実家の伝統や家訓は全く子供に伝わらないまま、姓だけ変わって妻(嫁)の実家の管理下に置かれる。そんな子供は一体何者なの?

姓だけパパで中身は全て(実際全てに近い)ママ。

尻に敷かれっぱなしの夫
やりたい放題の100%自己中心の妻
姓だけ父側でアイデンティティ不明の子
バカ丸出しの妻の実家
ここまでは羞恥心が皆無になった者達

息子(夫)のため?!を思って退いた夫の実家
彼らはプライドを捨てざるを得なかった被害者達


あ・ん・た・ら
一体何者?
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# by masatonet | 2011-11-27 18:41 | ヒトリゴト日記

iOS5

最新版iPhoneおよびiPadOSであるiOS5
使い勝手は向上したし、なんといっても同OS上で動作するiTunesの音質が劇的に向上したのは実に喜ばしい。

しかしとっても邪魔アプリが登場。

News standという雑誌購読用のアプリ。消すことが出来ず、しかもフォルダにいれて整理することが出来ない。これは

とっても邪魔

であることこの上ない。

グーグルで

「newstand iOS5 消去方法」
と検索すると
出るわ、出るわ(笑)。

なんとフォルダーに入れることが出来た。
かなりゲーム的な操作が必要になるが、邪魔者が消えてスッキリ。

しかしNews standを入れたフォルダーはバグっているが・・・。
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# by masatonet | 2011-11-06 19:40 | Macフリーカー

レコード市

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大体クラシックファンなのでLPレコード市ではついついクラシックメインで買ってしまうが、今回はビルエバンス中心に買いました。エバンスだけでも15枚以上。クラシックは1枚あたり200円から1000円くらいですがジャズだと1枚3000円を超えるLPもざら。

過去最大のディスクセールだったようですが、私の購入したLPレコードの合計も過去最大。

一見置き場がなくなってきているが、
そこは掃除好きである私の腕の見せ所。

膨大なレコードが新たに6畳間に入ってきても、以前と変わらないレイアウト。
棚も増えることなく、床の上や壁に立てかけたままのレコードも一切無い。

一人で持てない量のレコードがやってこようとも
それらは皆、私のウサギ小屋書斎の中に綺麗に収まった。
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# by masatonet | 2011-10-30 15:56 | ヒトリゴト日記

アラフォー、アラサーに驚くなかれ。10代、20代日本人はもはや宇宙人。

こんなことが起こっているならまだアラフォー、アラサーと呼ばれた方がよほどましだと思えてならない。今の10代20代に「日本人の心」を見いだそうとすべきでない。
彼ら彼女らは全く宇宙人だ。
99.98%そうである。
日本人に化けて主人公の周りに潜み、主人公を殺して食べようと隙を狙っているのだ。
特に10代後半と20代前半の女子を見ろ。
彼女らが発する「ヒトのことば」のようなものを聞いてみろ。
あれはもう獣人だ。
人間ではない。

おお、神よ。我ら迷える子羊たちを憐れみ給え。
変えることが出来るものと出来ないものを区別する心の安らぎをどうぞ与え給え。


とあるネット上にあった情報より。
(引用ここから)

洋画が危機なのだという。
字幕の漢字が読めず、それが理由で
劇場に行くのをやめる若い観客が増えているのだそうだ。
私が観たテレビの特集では、「第三の男」を見せられたコギャル三人が、
難解(?)なセリフと漢字の続出に退屈しきっている様子が映し出されていた。

そこで、翻訳する側も平易な意訳を心がけ、
やむを得ず使う漢字にはルビを振って対処しているらしい。
まあ、昔の「立川文庫」の少年小説にはすべて漢字にルビが振ってあったと聞くし、
そんな時代への回帰だと思えば腹も立たないか。

現に、私もあるテレビドラマに携わったとき、
「中学生に理解出来るレベルで書いてください」と注文された経験がある。
「難しい言い回しはそれだけでチャンネルを替えられます。
クドイくらいに分かりやすくお願いします」

というわけで、「名状し難い思いで」とか、
「暗然と虚空に目を泳がす」などというト書きは当然のようにご法度。
まあいいかと、「複雑な気持ちで」とか、
「落ち込んだ視線をさまよわせる」と改めるのだが、
本当はそれでもまだ難しいらしい。

「慄然と」は「キャッと」、「憤然と」は「キレて」、「唖然と」は「ヤバいと」。
「嗚咽」も「噎び泣き」も、「涕泣」も「貰い泣き」も、区別なくすべて「号泣」。
「銃声」は「バーン!」、「急ブレーキ」は「キキーッ!」、
「固唾を呑む」は「ゴクリと」。

てな具合に書けば、若いスタッフ・キャストのノリも良く、
視聴者受けも見込まれて20%超えのヒット番組が出来上がる。

というわけでもないだろうが、
せめて「入り口は浅く、出口は深く」という方法論でも模索しない限り、
「考える」という行為をとっくに放棄している若い観客たちの、
奥底にひそむ感動を誘うのは不可能な時代になったことだけは確かなようだ。
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# by masatonet | 2011-10-23 20:44 | ヒトリゴト日記
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