悲劇を見ることへの準備教育

アニメ フランダースの犬(1975年)
全52話。日本アニメーション。原作者ウィーダ。
ヒーローはネロという貧しい少年。
ヒロインはアロアという裕福な少女。
人々の偏見が起こした悲劇。しかもその偏見にそこまで「人の罪」を負わせる必要があるのかと痛烈に感じさせるほど、ネロは重い十字架を負い、死へ一歩一歩近づいていった。まさに「きりひと賛歌」の小山内桐人(おさないきりひと)こと幼いキリストがダブってくる。いやネロの心はそれ以上に痛烈な死への道、それに追いやる人々の「悪心」のカオスで覆い尽くされてしまう。
このフランダースの犬で風車小屋への放火の疑いをかけられ村八分になってしまったネロの姿を見て、私の脳裏にある強烈な声が蘇った。
それはマタイ受難曲(BWV244)の50曲目"Aus Liebe Will Mein Heiland Sterben"で繰り広げられる合唱隊の叫びだ。

十字架につけろ!
十字架につけろ!
十字架につけろ!
十字架につけろ!

人々は「なにをしているかわからない」ままそう叫び続けた。

まさに、ネロはハンス、コゼツによって十字架につけられたのだ。
美しい心を見ることができない、見ようとしない大人達にとって「全財産」まで投げ出さないと十字架につけられた人の真心を発見できなかった。迷える子羊達である。
しかし、人間とは実に可笑しな生き物だ。人の幸せを、自分の幸せを祈りながら、実際は人の不幸を心の奥底で願っている。他人の不幸なんて願ったら自分も不幸になるなんて当然のことを知っていながら。ネロが幸せになることを祈り、最後凍死してしまう結末を嫌うにもかかわらず、その死と自分の今の境遇を比較し「まだ、私の方がましだ」と胸をなで下ろす。悲劇を自分の踏み台にして悠々と生きている。私たちはなんと下劣な生き物だろう。

この悲劇は世の中に多くある悲劇を見ていき続けるための準備教育に他ならない。
ネロが悲惨な最期を遂げる。それが最重要点なのだ。この最重要点は変更不可能なのだ。死がもたらす、清らかな人の死がもたらす「悲劇」から、卑劣な私たちは自らがすべて「罪人(つみびと)」であることを自覚すべきなのだ。


しかし、、、
それは、
その展開は、
聖書で十分ではないのだろうか。


・・・・・
・・・・
・・・
・・

家賃を払える当てもなく身も心も引き裂かれたネロはハンスと約束したとおり家を出て行くことにした。家賃の足しにと家財道具を一切を机の上に出し、書き置きをして家から吹雪荒れ狂う外へ出た。しばらく歩いた後、突然強風が吹きネロを空高く押し上げそのまま大きな垣根に叩きつけてしまう。それによってネロは気絶してしまう。気がつくと家の中。横にはミシェルがやさしく付き添っていた。まもなく、ハンスやコゼツが他の人たちと共に部屋の中になだれ込んで謝罪を始める。皆がともにやさしい心でつながったことに喜ぶネロとアロアだった。
その後、ネロは長年おじいさんと暮らした思いで溢れる家で一人暮らしを続けようとするが、コゼツがネロを一人のままにはさせなかった。アロアとエリーナが毎日訪れネロの家事を手伝ってくれた。ネロの後見人になったコゼツはネロの金銭面をすべて負担し、実の子アロアに匹敵するほどネロを寵愛する。その後まもなくパトラッシュは亡くなり村を挙げての葬式が行われた。
毎日ネロはコゼツが用意した専用馬車で美術学校へ通う。改心したハンスは心を入れ替えたと思いきや、ネロに変わって新しく虐めるターゲットを得、皆に隠れて陰湿ないじめを続ける。ハンスに虐められた人はハンスを激しく恨み、それがもとでハンスは事故で命を落とす。ハンスの後を息子のアンドレが継ぐがへまばかりしている。そのへまに愛想尽かせたコゼツはネロに村の取りしき一切を任せる。しかしネロは絵の勉強が忙しくなってきて、ブラッケン村の内情に手が回りにくくなる。忙しさからネロは病に伏せる。その様子を見てかつてのアロアの主治医だったバートランドがブラッケン村の取りしきを手伝ってくれる。
画家のヘンドリックの下でみるみる才能を発揮するネロ。ネロの研究室には遠く外国から貴族達が多く訪れるようになる。その後まもなく、以前ネロが会ったイギリスの公爵夫人の取り計らいもあり、美術館でネロの作品展が年に数回行われ始める。そして本格的な勉強のためにネロはアロアと共に国費でフランスへ留学する。1年の学びの末、ベルギーに帰国した二人はアントワープの大聖堂で結婚式を挙げる。挙式には国王陛下も参列する。引出物はノエルおじいさんが作った「ブラッケン村の風車のオモチャ」その出来にたいそう喜んだ国王陛下はノエルおじいさんを皇室専属の職人として採用しようとした。その採用式当日、ノエルおじいさんはいつものとおり笛を吹きながらどこかにいってしまった。その後まもなく、国王陛下はネロをルーベンス絵画の修復責任者として召し抱える。

その後、時は20年経ち、世代はネロの子供へ。
ブラッケン村の中心にはパトラッシュが引く荷車の横につきそうジェハンおじいさんの銅像がそびえ立つ。その銅像はジョルジュにコゼツがお願いしたものだった。またジェハンおじいさんの簡易な墓は大きな石碑へ変わりひとつの観光地になる。ネロはアントワープ美術学校の校長。そこは今や世界中から美術を志す若者が集まる名門校になっていた。若く美しいアロアは街の養老院、孤児院の院長となり貧しい人たち、子供達の灯火となって働いていた。そんなネロとアロアとの間には一人男の子がいた。その子は詩の才能があったがアロアに似て、きかんぼうだった。一方鍛冶屋の親方であるジョルジュはマリアという妻との間に女の子がいた。ネロの子とジョルジュの子は大の仲良しで親たちの心配をよそに色々な冒険を始める。
ある日、冒険の途中間違ってポールに大けがをさせてしまい、そのことでネロがローマ大聖堂に捧げるために描いていた「最後の晩餐」を期日までに仕上げられなくなり・・・。


と、このようにストーリーが進むと極めて気持ちが良い。


なんとも、美しくハッピーエンドに繋げないと心苦しい。想像だけでもいいからネロに、彼の美しい生き様に報いたい。
最後非業の死を遂げたにしてもマルチンルーサーキング牧師のごとく
力強く、
正義を貫く
そうであってほしい。
このままでいくとネロの悲劇は美しく生きることへの否定に繋がるようでとても辛いのだ。

作者はそこまでして生より死を持ってこそ救いであると叫びたいのか。
マンガの神、手塚治虫に言わして、
「作者ウィーダはドクターキリコ」
であろう。
いや、そうにちがいない。
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by masatonet | 2011-08-11 23:13 | ヒトリゴト日記