私の手記- memoir -です


by masatokunkeio

弱者という括(くく)り

強者と弱者

そもそも「分類」なんて愚かなことだ。社会的な意義があるにしても滑稽である。「分類」することでその分類学者たる者達もまた分類されることを忘れてはならない。

強者と弱者

社会的弱者
民族差別
貧富の差

区別することからくる集団意識
排他的偏見


以前から北朝鮮問題に関する本を読み続けている。未だたかが20冊足らずだが、かの国の状況たるや悲惨を通り過ぎて言葉を失う。穏やかに日本で過ごしていると隣国の極貧生活など全く知らず仕舞いだったことが悔やまれる。

北朝鮮から日本に「命がけ」で脱出してきて暮らしている人たちもいると聞く。多くは韓国へ行き生活をする。彼ら彼女らのことを「脱北者」という。

言葉とはなんと愚かな者だろう。


私は政治的な事に関与する事はあまり好まないが、この「脱北者」という言葉はなんとかならないのだろうか。「難民」にしてもそうだし、「障害者」もそうだが、各々の言葉が持つ「客観的整合性」は良くわかる。しかしあまりにも直接的過ぎてきまりが悪くなる。

「ニート」やら「ひとり親」やら、とにかく円の中心に属していない人達に、正直言って「排他的存在」として決定的な言葉を当てはめて文字通り区別という名の差別をする事は一刻も早く20世紀の遺産にしてほしい。


いつになったら言葉がもたらす利便性一辺倒から脱出できるのだろうか。


人はみな影と日向を持って生きている。自分だけが円の中心に存在している訳ではない。いや皆、捉え方を変えたら円の外側で生活しているのだ。

自分が勝手に円の中心にいると信じる事をやめて欲しい。

斉藤ひとり氏の『ふつうはつらいよ』という著作を読むまでもなく、ふつうはふつうではないのだ。偏見を持てるほどの身分は決して偏見しない方々である。つまり偏見する人たちは自ずから偏見を持たれている事を示している事になる。

円の中心にいると誇示することは自ずから円の中心にはいない事を言っているに一致する。


広島に原爆を落とした事を正当化する大半のアメリカ人達からすれば、「脱北者」も「真珠湾攻撃した日本人」も分類上では似たようなものだろう。分類とは実に身勝手なものである。

我々は西洋人の捨て駒である。ベトナム戦争しかり、朝鮮戦争しかり、中国の勝手極まる人工島問題でもしかり。

地球規模で国境を越えて世界人類が皆「ヒト」として大きな枠組みで生き始める日が1日でも早く来て欲しいものである。ジョン・レノンのイマジンではないが、そう声高に叫ぶことが出来ないのが誠に残念である。
「祈り」とはそういう時こそ人に与えられた最終手段なのだろうか。
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by masatonet | 2016-07-29 21:08 | ヒトリゴト日記