私の手記- memoir -です


by masatokunkeio

カテゴリ:ヒトリゴト日記( 95 )

今朝何気なく日経を斜め読みしていると

「婚活に疲れた方へのカウンセリングセンターが出来ました」

という宣伝欄を見つけて家人と共に吹き出してしまった。

「婚活に疲れたって、、、いやはやなんとまあ」
なんでも一生懸命になりすぎな日本人は全くケナゲである。

なにをそんなに慌てているのだろうか。
そんなに「結婚すること」が大切なのだろうか。
未婚はそんなに「負け」なのだろうか。
子供がいないことは「格下」なのか。
車のバックウィンドウに「赤ちゃんが乗っています」等々といったステッカーを貼りたいだけなのか。

それならば、、

若くて配偶者と死別したのは「負け」なのか。
どれだけ苦痛を味わっても子供ができない夫婦は「格下」なのか。
突然の出来事で子供が死んで、夫婦だけになったことは「敗北」なのか。


柔軟性ある考え方を平素から心がけていないと、今の自分にとって何が先ず大切かが見えなくなってくる。価値観は多様性に富んできている。一つの物差しで測ること自体が無理なのだ。

にもかかわらず、平然と孫の話を長々とし続けたり、相手構わず子供の写真入りの葉書や年賀状を送りつけてしまうことのなんと哀れなことよ。

そういった人たちは、おそらく幸せなのだろう。
全く他の価値観が見えないし、知る余地もない。人の傷口を平気で雑菌まみれの手で触る行為に近い。永井隆の言うとおりである。

子供が二人いた友人。
事故で二人とも死んだ。

車で「赤ちゃんが乗っています」のステッカーを見るだけで妻が涙する。

そうして、まもなく、妻は鬱になった。

いろんな多種多様の価値観の人にたくさんであってほしいものだ。
同じような人達だけでくだらないLINEやらフェイスブックやらをやっていては精神病の温床を増やすだけだ。

同じマンションに住む夫婦が3人以上の子持ちが多いから、ウチも次の子供を産む、、、ではいけないのである。主体性を欠いてしまうとその先は間違いなく貧困が待っている。日本の貧困は日増しに悪化の一途を辿る。



マイペースでは心配なのだろうが、誰でも、一人で生まれたのだから、一人で死んで行くのだ。安心という錯覚は妄想であるとなぜ気付かないのだろうか。


疲れる婚活。
疲れた婚活者に言いたい。


「あなたはまず結婚よりも先にしなければならない事があります。それをして下さい。最も大切なことを後回しにするから結婚ばかりにこだわって、今結婚すべき時じゃないのに無理矢理しようとするから疲れるのです」と。
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by masatonet | 2017-01-23 18:09 | ヒトリゴト日記

バランス

生活のバランス
日々の生活においてバランスが大切な事は周知の事実だろう。痛み・苦痛はバランスが崩れてしまったことから起こる。体の痛み、心の痛み、その原因はアンバランスである。
子供を育てて親になる。親になってもアンバランスのままでは子供にアンバランスを植え付けてしまう。ほど良さを学ぶには何がアンバランスかを知らないと行けない。

体が冷え過ぎる。逆に体に熱が溜まりすぎて暑くなる。アンバランスが起こる。それをいかにして整えるかは、リラックスしてバランスを整えることから始めないと行けない。弛緩である。体の弛緩、心の弛緩である。

3畳間に100インチのテレビは必要ない。単に買って置く事だけならできるが、それを適切に使う事は出来ない。どうやって画面全体をゆったりと見ることができるのか。

一人暮らしに50万円もする大型冷蔵庫は必要ない。単に買う事はできるが、利便性の高い街で生活するならば、より新鮮なものを頻繁に店舗で購入して食した方が効率がはるかに良い。

さて、生活のモノのバランスもさる事ながら、人間関係のバランスも大切だろう。



人間関係のバランス
以前おもしろい記事を目にした事がある。
ある有名女性モデルと付き合い始めた一般人男性がいた。そのモデルと正式に結婚する事が決まり、まもなくマスコミが彼の会社、自宅、通勤路等に張り込み、彼にインタビューをし続ける事になった。その執拗さに驚いたその一般人男性はその女性モデルとの結婚を破談にした。その後そのモデルは涙ながらにインタビューに答え、「彼がそんな人とは微塵も思わなかった、悲しい」と言った内容を話していた。

実に面白く興味深い出来事である。人間関係のバランスが全く取れていない。私は男のせい、女のせい、どうのこうのという三流記事を書こうとは毛頭思わない。
まず面白いのが、そのモデルと結婚しようとした一般人男性のとった行動である。相手は有名モデルである。美しいところには常にハエが群がっている。それが世間の常なのだ。過剰にある所には常にお余り頂戴軍団が群がっている。週刊誌などはすべてその手で成り立っているのだ。そんな事今時なら幼稚園児でも知っている。その美しいものを自分のモノにしようものなら、それに群がっているハエもいっしょに自分のモノにしないといけない。当たり前である。それが全く分かっていないのだ。その一般人男性は愚かにも、美しいモノ「だけ」を手に入れる事ができるとでも思ったのだろうか。つまり「このような有名な人と結婚すればどのようになるだろうか」とちっとも想像できなかった訳だ。子供みたく「やった!人もうらやむ美人を妻にできる、それは俺がイイ男だからだ、貴様らにはそのような運はないだろうが、どうだ、どうだ、しっかりうらやめ!」と本音では感じていただろうし事実そうだ。有名女性モデルに出逢う仕事を選べた運の良さ、彼女に想われ結婚できる運の良さは万人には与えられていない。その一般人男性は圧倒的に強運だった事は全く否定できない。しかし不幸にしてその一般人男性は有名モデルを妻にするには余りにもアンバランスだったのだ。

つぎに、その女性モデルのとった行動である。
間違いなく言える事は、彼女は「自分自身がどれほど魅力的な女性」であるかを自覚していないのだろう。とかく男でも女でも美貌に優れた人たちは「当人たちの美しさの自覚」がない場合が多い。過去でも色々な芸能人たちが再婚時に「とんでもないお相手」を選んだ例は多い。「とんでもない若き新妻」を選んだ二枚目有名男優達は、その下品な新妻のために彼らの品格を大いに傷付けられた。その後まもなく命を落としたり、変死する事などもままある。
話を戻すとその女性モデルが破談後に彼のことを「そんな人とは微塵も思わなかった」と言った事が印象深い。ちょっと待ってほしい。モデルである彼女が美しい故に当然群がるハエがいて、そのハエも彼が当然気に入ってくれるだろうと信じていたからこそ結婚を決めたのだろう。しかし実際は彼はハエを気に入らずに破談にした。「そんな人」とはつまり最初から彼女を気に入っていなかったのだ。なぜなら、ハエと彼女は常にワンセットなのだから。彼女の魅力はハエが持っているとも言える。静かに暮らす事など馬鹿げている。

絶対的な強運とは存在しない。アンバランスのままで存在できないのがこの世である。
美しければ美しいほどハエが群がる。また自分の魅力を自覚せずに平気でその魅力を損なう事をしてしまう。それがバランスを取っているということなのだ。うまく行くというのはそれより以前に上手くいっていない状態が続いているから発生するのである。

単車に乗ってコンビニにバイトに行っている茶髪ピアスのアンちゃんが200万円のスイス製の時計を身につけて腰にチェーンをジャラジャラさせていても、誰もそれが200万円する品とは思えない。仮に高そうに見えても、中古か、もらい物か、さもすると誰かから、かっぱらったとも見られるかもしれない。バランスが大切なのだ。

人間は、その人自身の最も低い品格ですべてを計られる。


せっかくのスイス製高級腕時計も50ccバイクと腰からぶら下がる汚げなチェーンという「最も低い品格」で200万円から百円均一の腕時計にその価値が下げられる訳である。逆を言えば、200万円の時計の価値はアンちゃんチェーンレベルの汚さに落ちているといことであり、すでに200万円の価値は全くないという事だ。



よく行くオーディオショップの駐車場にとんでもない高級車が停まっている事がある。その日は駐車場の二台分のスペースにバーンと停まった黒塗りの車があった。


店の中に入るとイカツイ感じのオッチャンはいなく、店員しかいない。変だ。
当分店の中をうろついていると、うつむいた暗い感じの男性が虚ろな目つきでキョロキョロしながら高級オーディオ売り場をウロウロしている事に気がついた。なぜか妙にビクついている。その横で店員が色々説明している。その説明がまあなんと幼稚、幼稚。私はため息が出た。会話の後の丸括弧は私のコメントである。

店員:「お持ちのBWなら、ま、300万するスピーカーですから、このくらいのアンプで鳴らさないとダメですよ」
(値段よりも音を聴かせてから説明しろって!!)

うつろなオッチャン(以下うつオジ):「それだったら大丈夫でしょうか」
(なんでお前が買うのに店員に大丈夫って聞いてるの?お前が好きな音を買えばいいんだから)

店員:「ま、妥当ですよ。バランスが大切ですからね。」
(いやいや、製品同士の値段のバランスよりも、色々音を聴かせて、その違いが価格相応に分かるかどうかを本人に判断させろ!)

うつオジ:「どんな音がしますか?」
(だから!!お前が店員に聞くなって!!店員の耳はお前の耳じゃないの。典型的なカモだな、あんた)

店員:「だいたい低音が出過ぎて、音がこもりがちですからね。このアンプに変えたら一気に解決しますよ。」
(まあ、第三者の私が見ても200万円近い出費でそれが解決するのは分かるが、それよりももっとしなくてはならない事ないの?)

すかさずメーカー派遣の売り子(営業マン)が、がなり始めた。

売り子:「表の黒塗りの外車はOOさんのですか?」
(なんで、いきなり車の話をするんだ、この営業スマイルバカは)

うつオジ:「(なぜか、うつろに)ええ、そうです、先月来たばっかです」
(あ〜あ、ハメられたな。嬉しそうにうつろに答えていやがる)

売り子:「なら、このデジタル機器を買ってくださいよ、あんな高級車お持ちなんですから、CDプレーヤーとダックに300万円なんて安いじゃないですか」
(おえぇぇ、なんだよこの売り方は!!昭和かよ。まあまあ、成金馬鹿相手の良い営業マンだこと。あんたの会社のブランドは地に落ちたな)


うつオジ:「どんな音がしますか?」
(だ・か・ら!!質問するな!!馬鹿が。いいかアホ、一言でいいから「試聴させてくれ」と言え!!それとも、もしかしてわかっていないの、全然??音の良し悪しが????自分にとって何がいい音かそうでないかを自分で決めれないの?ステサン害者ここにありか。)

売り子:「間違いなく最高の音ですよ、毎日が楽しくなりますよ、、(以下アホすぎて失念)」
(オェぇぇぇぇ、最高の音ねぇぇぇ。ヘドが出そうだ。お前が最高のなんて言ったら、たちどころに最悪の音が出そうだよ、まったく)

うつオジ:「そっちのXXXXなら大丈夫でしょうか?」
(あ・の・ね!!!あほ。だから質問するな。ブランドで決めるな!おまえの目の前にアンプがゴロゴロあるんだから、まず質問する前に聴け!聞け!聴けぇぇ!!)


店員:「いやこれはダメですよ、たかが50万程度ですから、最低でも100万以上しないと」
(おいおい(爆笑)値段で決めるな。値段で決めれるのは自分の好みの音がある程度わかっている人だけがすればよろしい)


うつオジ:「そうですか、なら、こっちなら大丈夫でしょうか?」
(はぁぁ(鬱)お前ねぇ。いつになったらこいつらから散々馬鹿にされているか気づくかね、ホンマに。)


店員&売り子:「そうですね、それなら3台買ってください。」
(もうめちゃくちゃだな、無理やりカネを使わせようとしているんだな、お前ら、犯罪だぞ、ここまで来れば)


うつオジ:「わかりました、合計でいくらですか?」
(おいおい、まあこんな感じであの表にある馬鹿デカイ外車も買ったんだろうな。あんな外車でコンビニおにぎり買いに行く毎日なんだろうな、あんたって)


と、まあ、この手の会話がワイワイと、一切音楽が流れることなく、100万単位の機械の目の前に並べて行われ続けている事、全く音を聴かず、「いいですよ」「どうでしょうか」の連続した会話にさすがに嫌気がさし、ちょっと冷やかしてみた私が一言。(ほっときゃいいのに(笑))


私:「すみません、JBLとレビンソンのセパを聞かせて下さい。」


一瞬白けたが、メーカーの売り子(決してJBLやレビンソンの輸入代理店の人ではない)が嫌そうに(笑)アンプの電源を入れた。その面倒臭い様子にムカッときた私は続けて悪役をかってでた。


私:「あのう、他のスピーカーは干渉しないのですか?こんなに接近させてセットアップしていたら特にウーハーなどはアンプに接続していなくても動くと思いますが。特に真横のスピーカーなどはターミナルをショートさせた方がいいのではないですか。アンプだけでも800万円近いですから、せっかくですから良い状態で聴きたいですので。」


まあ、実に嫌味たっぷり、悪役バリバリの私である(笑)。


売り子:「そ、そうですね。確かに干渉するかもしれません。少々お待ちください」

流石某国産メーカーだけあって、あっさりと素直に対応してくれた。さっきのうつオジへの売り方とは打って変わり、汗をかきながら一生懸命である。すると、息を上げて、うつオジがいきなり叫んだ。

うつオジ:「干渉ってなんですか?アンプに繋がっていないスピーカーから音が出るんですか?ショートってなんですか?壊れるんですか???」

かなり驚いている。うつろな目がますますキョロキョロし始めた。横にいた私も悪役効果が効きすぎたと知り、すこしきまりが悪くなった(笑)。「まあ、あまり気にしないで」という店員の言葉にもかかわらず、うつろおじさんは不安でたまらないようだ。しばらくすると、店員が図を描きながら丁寧に干渉について教えている。

うつオジ:「その図、もらっていいですか」

今度は店員が驚いている。
いやはや、絶句である。新品の300万クラスのスピーカーを買っている人が知らないレベルの情報ではない。車を買ってハンドル操作を知らないレベルである。


人生、バランスが大切である。
人間は、その人自身の最も低い品格ですべてを計られる。
我ながら実によく言えた、名言、迷言(笑)である。
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by masatonet | 2016-08-06 10:39 | ヒトリゴト日記

弱者という括(くく)り

強者と弱者

そもそも「分類」なんて愚かなことだ。社会的な意義があるにしても滑稽である。「分類」することでその分類学者たる者達もまた分類されることを忘れてはならない。

強者と弱者

社会的弱者
民族差別
貧富の差

区別することからくる集団意識
排他的偏見


以前から北朝鮮問題に関する本を読み続けている。未だたかが20冊足らずだが、かの国の状況たるや悲惨を通り過ぎて言葉を失う。穏やかに日本で過ごしていると隣国の極貧生活など全く知らず仕舞いだったことが悔やまれる。

北朝鮮から日本に「命がけ」で脱出してきて暮らしている人たちもいると聞く。多くは韓国へ行き生活をする。彼ら彼女らのことを「脱北者」という。

言葉とはなんと愚かな者だろう。


私は政治的な事に関与する事はあまり好まないが、この「脱北者」という言葉はなんとかならないのだろうか。「難民」にしてもそうだし、「障害者」もそうだが、各々の言葉が持つ「客観的整合性」は良くわかる。しかしあまりにも直接的過ぎてきまりが悪くなる。

「ニート」やら「ひとり親」やら、とにかく円の中心に属していない人達に、正直言って「排他的存在」として決定的な言葉を当てはめて文字通り区別という名の差別をする事は一刻も早く20世紀の遺産にしてほしい。


いつになったら言葉がもたらす利便性一辺倒から脱出できるのだろうか。


人はみな影と日向を持って生きている。自分だけが円の中心に存在している訳ではない。いや皆、捉え方を変えたら円の外側で生活しているのだ。

自分が勝手に円の中心にいると信じる事をやめて欲しい。

斉藤ひとり氏の『ふつうはつらいよ』という著作を読むまでもなく、ふつうはふつうではないのだ。偏見を持てるほどの身分は決して偏見しない方々である。つまり偏見する人たちは自ずから偏見を持たれている事を示している事になる。

円の中心にいると誇示することは自ずから円の中心にはいない事を言っているに一致する。


広島に原爆を落とした事を正当化する大半のアメリカ人達からすれば、「脱北者」も「真珠湾攻撃した日本人」も分類上では似たようなものだろう。分類とは実に身勝手なものである。

我々は西洋人の捨て駒である。ベトナム戦争しかり、朝鮮戦争しかり、中国の勝手極まる人工島問題でもしかり。

地球規模で国境を越えて世界人類が皆「ヒト」として大きな枠組みで生き始める日が1日でも早く来て欲しいものである。ジョン・レノンのイマジンではないが、そう声高に叫ぶことが出来ないのが誠に残念である。
「祈り」とはそういう時こそ人に与えられた最終手段なのだろうか。
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by masatonet | 2016-07-29 21:08 | ヒトリゴト日記
ゆとり世代
貧困

因果関係がないとは言えそうもない。
2016年現在で、2、30代がおよそゆとり世代となるし、恐ろしいことにその世代が子育て、さもすると小学生くらいの子供を育てている。ゆとり世代親達は実に自信満々である。迷惑千万なのは他でもなく子供達だ。

ゆとり世代の特徴は、全てがフラットだという事。つまり敬も譲もなく、全てが自分達と「同一レベルでそれを良しとする」事である。プア充などもまさにこの世代の醍醐味である。

「あのねぇ、山本さん」と気軽に呼びかけるのは大学生の絢香。山本さんとは学部長の山本誠一郎。山本が授業態度の事等で注意しようものなら「はぁ?なに勝手にキレとん?」とキョトンとする絢香。

上記のような、まさに「教育の地獄化」がもはや日常化している今日この頃である。

ゆとり世代
貧困

繋がっただろうか?
賢明な読者諸氏はすでに大きくうなずいただろう。

貧困の原因を一言で言うのは不可能だが、多くは「教育環境」に潜在していると考える。より良い相談相手が不足した状態で貧困から抜け出る事ができない事は巷の溢れる該当の書籍を読まずとも分かる。「教育環境」の不平等は多くの場合世襲されよう。逆もまた然りであり、よい「教育環境」で社会的な貧困とは程遠い生活をしている人達は、一代でというよりも、そのよりよい「教育環境」は世襲された場合が多い事実がある。周知の事実は、豊かな暮らしの子供は、それが親や先祖に全て依存されているわけであって、よほど稀なケースを除けば、子供の貧困は親の貧困である。


では、重ねて考えるが、どうしてそこまで貧困が広がるのか。ここまで物質的に豊かで、また肉体的に安楽な環境であるにもかかわらず、富裕と貧困の決定的なまでの二極化が進むのだろうか。

経済評論家の長谷川慶太郎氏の言葉を借りると「金と情報はあるところにしかない」となる。そして、その「あるところ」とはまさに「上質な教育環境」のことなのだ。

するとたちどころに勘違いされそうだが、教育環境は自ら手に入れる事ができるわけで、決して現状の教育環境から逃避できないなどとは毛頭考えていない。つまり、自分から積極的によい環境を見つけるべく動けばよいのである。しかしそれができない、それが出来れば話が早いが、などと貧困研究従事者から非難が聞こえてきそうだ。

ここで立ち止まって考えてもらいたい。

なぜ、それが出来ないのか、つまり自分から積極的によりよい教育環境を見つけようとしないのか
という問題について考えられたい。

筆者は「敬と譲」の完全な欠如がその一因ではないかと思われてならない。

敬うことと謙(へりくだ)ること。一昔前の日本人なら当然それを持ち得た。しかし、全く死語となってしまった。

人を敬うことが出来ずに、どうやって教育を受けるのだろうか。
謙ることなしに、どうやって自己研鑽出来るのだろうか。

「敬と譲」が失われた国家は衰退の一途を行く。日本人の根底にあったそれらの美徳は、二宮尊徳や上杉鷹山らによって世界的に知られることとなったが、不幸にして第二次大戦後アメリカにして徹底的に打ち壊されて現在のプア充へと繋がってゆく。


自分達は「先生ら」と対等で、往々にして「先生ら」よりもよく知っている、「先生ら」はただ古いだけで、、、のような教育環境の捉え方がまかり通っている。そうなると、残された道はただ一つ。自分のレベル以下の人間関係を築き、その殻の中に閉じこもり、その中で税金を貪り、しかも絶対的に貧困におかれた状況を全く満足し続けるために「劣等を充足感に置き換える生活」を送ることを余儀なくされる。

ゆとり世代
貧困

「敬と譲」はこうして完全に忘れ去られた。


井の中の蛙大海を知らず。初潮を迎えた保育園児が保育園児を育てる時代。

もし日本人がその偉大な精神を取り戻すなら、まず「敬と譲」を取り戻すべきだ。
待機児童うんぬんでも保育士うんぬんでも全く解決にならない。
一体なにをやっているのだろうか。
全く迷走したいとしか思えない。

自分がお山の大将ではなく、まず目の前の人を敬うこと。
自分は何も知らないことを知ってへりくだり(決して劣等感を抱けとは微塵も言っていない)、1から学びなおす事。

できる事は、それぐらいだ。

ゆとり世代
貧困

強固に繋がりつつあるその2つの言葉は、今後日本の精神的前線となるだろう。
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by masatonet | 2016-07-20 20:15 | ヒトリゴト日記
コアコミュニケーション(核コミュニケーション)つまり、人間の関係の原点なるコミュニケーション。人間存在の最根底にあるコミュニケーションは男と女の性行為によるコミュニケーションであり、そこからすべてが始まる。動物的本能として交尾欲求は不滅であろうが、そのコアコミュニケーションの原点がここ最近揺らぎ始めている。

金銭的に、境遇的に結婚できない状態で無いにもかかわらず、結婚をしない人が増えていることは明白である。

結婚しない方が気が楽という画一的な理由で、先の本能的なコアコミュニケーションを自在に制御出来るほど我々は聖職者的禁欲さは微塵も無い。セックスはしたいし、自分の子供は欲しい。しかも結婚できないのではなく、結婚しない訳である。

苦労を分かち合うのではなく、苦労を二倍にして二人で共有するのが結婚生活だろう。さらに現在において最重要問題として、金銭的経済的な問題もある。必然的にパートナーへの出費が発生するからお金が無いと当然結婚できない。ただしこの問題は私個人的には全くと言っていいほど関係無いので、不謹慎と思われるかもしれないが、「お金が無いから結婚できない」という問題一切は無視除外する。

一人だけでは考えが広がらない。しかしだからと言って二人だと広がるかと言えばそうではない。考えられる事は、自分一人だと自分勝手に振る舞え続けることが出来るので、抑えがきかなくなる。ワガママし放題な訳だ。それを抑制するには二人以上で暮らすことが必要だろう。

配偶者を数人養えるだけの収入があっても結婚しない。つまりお金がないから結婚できないのではない。お金があるから結婚しない。

玉の輿

かつてはそのような言葉があった。今でも使うだろうが、考えるに、死語になりつつあるように思う。
玉の輿が理想だと言うつもりはないが、経済的に困窮している家庭の女性達が、これほどまでに玉の輿に乗れない時代も、もしかすると今までなかったのではないだろうが。

空威張り

私は統合失調症です!現在は精神病なんて風邪と同じ皆持っている病ですから!!!
ウチはビンボーですが幸せです!お金持ちなんて興味ありませんし!
今とっても楽しいです。結婚なんて考えていません。だって毎日楽しいから!!!!

まあ、本音だろうが、別にことさら自慢して欲しい内容でもない。何かとストレートに自己主張する教育を受けてきた、特に「ゆとり世代」は、羞恥心は皆無であり、まして謙虚さ、そして尊敬心など皆無である。

素直さ

松下幸之助が大切にした言葉である。私も決して素直ではないが、自分の気持ちだけには素直であるつもりだ。しかし、自分の心、気持ちにも素直でない人が多くなってきている。特にそういう女性が多いのではないか。

常に空威張りを続けている。そんなに威張らなくても良い。なにをそんなに威張っているのだろうか。そんなに貴方へ劣等感を抱かせているのは何か。


私は結婚したいです。ビンボーですし、顔だって良くはありません。お金の苦労はしたく無いのでお金がある人が良いですが、分不相応と言われても良いですから、だからそのかわり一生懸命頑張ります。自分に足らないところを一所懸命勉強するつもりです。それに子育てだって、もちろん完璧には出来ませんが、足らないところは夫婦で補い合って行きたいです。でももしかすると自分に出来ることなんて子供を産むことぐらいかもしれません。それでも一生懸命やります。お金も少しでも増やすよう勉強して頑張ります。こんな「程度」の私ですが、ほか何か必要ですか。

3、40年位前なら、玉の輿に乗った女性達が使ったが落とし文句!?が上記のようであっても不思議では無い。そんな謙虚な女性なんて存在するはずないし、上の文句でも全くの嘘である。そんなのが嘘なんて、ちょっと賢い男なら誰でも解る。


しかしである。



そんな、真っ赤なウソですらつく事のできない時代が現代なのだ。冗談でも良いからそんな「ウソの謙虚さ」でも拝みたいくらいだ。ウソの素直さですら、どこに行ってしまったのだろうか。

正直の上にバカがついて、自分に「バカ」正直に生きている独身が圧倒的に増えた。謙虚では無い。自分の気持ちを誤魔化して、客観テストで満点を取る事ばかりの教育を受けてきた最大の弊害である、自分という個性を消して、妙に良い子ぶりっ子し続けている。出来なくても出来ているかのように空威張りをし続ける。


「あ、あの子結婚したんだ。男も可哀想に」と思えても、「あの子取られた!ちょっと待ったぁ!!」とは思えないほど愛嬌も悪く、ガラも悪く、生意気の塊で、上から目線で、支配欲と独占欲の屍であっては、魂の抜け殻のようなオスしか交尾にやってこない。メスがやらせてやる訳で、食べ物も与えてやらないといけない。養い手はメスであり、オスは不甲斐ないほど好まれ、「こんなボクでも良いのでしょうか?」みたいな女の腐ったような輩の方が、飛ぶように売れる、つまり圧倒的に婿の貰い手(笑)がある訳だ。


そうなると、当然、質が高い男性との交流は一切行われない。男は自分(女)より常に弱々しく質が低くないと「ヨチヨチ、お利口さん」と頭を撫でられない。頭をなでられるなんて絶対に我慢出来ない。女が男を見下さないと全てが始まらないからである。


それが、現代の最大の問題である「子供の貧困」につながっている。大体おかしいのだ。お金を持っている人が結婚すれば良いものを、そうで無い人同士が、貧乏人同士が子作りを無造作に続けている。その二極化が甚だしい。私を含めて、教育や資産を多く蓄えている独身が多くいる一方で、なぜここまで子供が貧困になる原因があるのか。

答えは明白である。玉の輿がなくなったせいだ。別に冷やかしているのではない。傲慢な貧乏人が膨大に増えたのだ。プア充なのだ。これほど傲慢な事はない。

自分が産む子は、貧しくなって欲しくない

と正直に言えば良い。なぜそれすら言えないのか。お金なんて関係ない、愛情だ、価値観だ、などと寝言を言いつづけて、結婚後翌日にして、どうやって生活するのかと喧々するのだろう。


ごちゃごちゃ考えずに、サッサと結婚しろ!

とロクでもない配偶者がいる動物化させられたホモサピエンスが言いそうだが、考えないといけないのだ。考えないから貧困になるのだ。その点が全く分かっていない。いやもう少し丁寧に訂正すると、考えなければならない事を徹底的に考えなければならないのだ。ノイローゼは考えなくてもよい事ばかりを考えているから起こる訳で、鬱もそこから始まる。


貧乏を
精神病を
自分の短所を

自信過剰に自慢して来る。つまり、端的に言えば、教育されていない状態なのだが、それでは質を上げる事など不可能で、それを否定するしかもはや生きる手立てはない。


玉の輿

最も合理的な質の上げ方だろうが、まず「ウソ」でも良いから謙虚にならないといけない。

コアコミュニケーションにおいて、そのような「ウソ」はなによりも大切だ。バカ正直では、貧乏のまま、それをバカみたく肯定し続ける、プア充の生活が全てであって、プア充が多額納税者が収めた膨大な税金を無駄に使い続ければ、そう遠くない日、日本は崩壊する。
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by masatonet | 2016-07-17 21:48 | ヒトリゴト日記

場当たり的人生万歳

人皆出たとこ勝負で人生を進ませる。
天変地異が起きると今までの計画などは無に還る。
人の死も歳の順ではない。

自転車操業的な人生設計を作り続けている。その自覚があろうがなかろうがである。

自分の興味は相手の興味であると信じ込んでいる。
偽善的である。逆の立場は想像もつかない。

本音と建前で生きているのだが、いつの間にか建前が本音のような気がしている。


独身者を見つけると、「そろそろ・・」と話を「建前」で持ちかけるくせして、自分自身の夫婦関係が絶望的だと語る更年期の女。自分の息子夫婦が警察沙汰の夫婦問題を何度も起こしているにも関わらず、息子と同世代の独身者の結婚話ばかりを進めるノイローゼ老婆。

行かず後家を見つけると「そんな性格じゃお嫁に・・・」なんて余計なお節介をやくくせに、自分の40年来引きこもりだった息子が「無事に」ニートだった「女」と結婚できたと自慢する統合失調症の老人。

嫁が3人目の孫を産み、その写真を方々に持って行き「かわいいでしょ、かわいいでしょ」と連呼しまくり自慢する傍ら、嫁の実家の異常なまでに年若い母親のADHDの深刻さを捲し立てて話し続ける早婚女。

60歳近くの独身女が両親の下のお世話しつつ、方々に自分がいかに立派な女かを自慢しまくっている。40年以上親から逃げて都会生活を続けていたが、精も根も尽き果てて「親孝行という名の偽善者」になって今度は結婚できなかった我慢ならない自分自身から逃げようと必死。

親に殺されるばかりの暴力で育った20代女。徹底的な自己嫌悪であり、毎晩恐怖観念に取り憑かれていてもそれは「仕方がない」事とばかり平然を装う。しかし装うのも限度あって、「私はもう大丈夫」と信じきるために、自己逃避のための常套手段として、生贄を見つけた。生贄つまり「なにも出来ないダメな男」と同棲を始めたのだ。「このダメ男は絶対に自分を捨てることなど出来ない、私が助けないとこの男はダメなの」と自己嫌悪の裏に潜む徹底的なメサイヤコンプレックスの塊の女。

是非結婚観を聞きたいようなステキな老夫婦は彼等の結婚観など一切触れない一方で、絶対に結婚観など聞きたくないようなダサい老夫婦は「必ず」と言っていいほど、強引な結婚観を押し付けてくる。独身でいると最後には憐れまれる始末。よほどコンプレックスの塊の人生だったのだろう老人。

子供がいない夫婦に得々と孫の自慢話をし続ける田舎の安寺の女。「まあ、子供がいないの??どうして、、、まあ。。孫はかわいいのに。うちの下の娘なんか・・。」と永遠と捲したてる。話は極めて表面的でどの子供の家族も「最高に上手くいっている」と自慢口調だが、自分が自慢出来ると思っているところだけを話しているだけで実が全くない。


自分の価値観という狭い範囲でしか考える事ができない人達は、子供のような「自慢」をするが、少しでも深くを見つめると、「自慢」は憐憫に直結しているを自ら呈している。



どうして、自分が全ての問題を起こしていると気が付かないのだろうか。

自分が不幸になっている原因が結婚なら、それを臆面もなく勧めるのはキチガイの他適切な表現があるだろうか。

いや、それとも、自分だけ不幸になるのでは気が済まず、「幸せな独身者(笑)」に不幸な結婚をさせて道連れにしようとしているのだろうか。

いや、結婚以外道はないから、結婚しない人はマトモな人間ではないと信じているのだろうか。

いや、結婚せず幸せに人生進まれたら、自分のダサい結婚生活を一切否定されてしまうことが怖いのか。

いや、結婚が唯一絶対の幸せへの道なのか。芸能人の離婚ニュースが最高に好きなくせして。


ちょっとでいいから立ち止まってよ。
バタバタ慌てないで。

なにをそんなに死に急いでいるの?
なにをそんなに不幸に急いでいるの?
相手を騙して結婚しても、相手はもっと貴方を騙してるよ?なにやってんの?
あ、そうか、騙されたいんだよね?
ちょっとでもマトモだったら相手にただ騙されたいんだよね?
傷を舐めあっても次の日には舐め方の不満を言うだけじゃないの?
お互いの「経済的救済活動」じゃないの、結婚って?性がらみで逃れられなくしといて。
「婚活」って「税収」の為って知ってるの?
一人で寂しいって本当なの?そういう人って二人でも何人いても寂しいって言っているよ?
家族って慰めあってるの?棺桶運ぶ人員を毎日見てそんなに安心なの?貴方の葬式の事は100%貴方は知らないし、どうにも出来ないのに?
それ、本当に必要だったの?
一時(いっとき)でも夫や妻が邪魔だなって思っているんじゃないの?
幸せだって信じているけれど、もっと他の幸せがあるかもしれないとは考えれられないの?

唯一の幸せがそれだってどういう理由でそう言い切れるの?
それって「とりあえず」少なくとも他の幸せを知っているからそう断言してるんだよね?

恋愛を語っているけど、お爺さん、お婆さん、昔「なんにん」からでなく「何十人」から求婚されたの?言い寄ったんじゃなくて、言い寄られた数をきかせて?
いや、いわなくてもいいや。一目見ればお爺さんやお婆さんがどのくらいモテたかわかるもん(笑)。昔の話を聴いたり写真を見なくても、その歳取った姿で昔を語っている事実を知らないの?

孫、甥、姪かわいいでしょって言っているけれど、本当に心からそう思っているの?
代々精神病なのに子供いっぱい作って、その子や孫を見て本当に喜んでるの?悩む頭って一度でいいから持ってみてよ。可愛くて仕方がない子や孫が全部精神病になる未来がそう遠くないことが分かると、怖くなって子作り出来ないばかりか、結婚すら出来なくなるから。そんな話すら呪われている事が分かるでしょ?
私はもう大丈夫って言っているけれど、毎晩悪夢を見ているんでしょ?
それって全く「大丈夫ではない」致命的な状況なの。言葉は正しく使えるようにならないと、気がつけば完全に手遅れになるのが分からないの?

頼むから、自分の代で「狂った人生」を止めて欲しい。
立ち止まって、ちょっとでもマトモな悩める頭を持って欲しい。
写真見て「いい人じゃない」ってどうして分かるの?犬猫みたいに夫や妻を選ぶなんて訳が分からない当人達にしては大迷惑。
いや、迷惑じゃないか、それほど頭良くないから、悩めるほど出来ていないから、お金持ちをバカにして自らお金がない同士が子作りして「罪のない子供の人生」に命がけで壊しても全く平気。自分たちも壊されたから。

頭がおかしいのは「なにも分からず見た目至上主義でバカみたいに結婚している人や、優越感や劣等感で同棲している虚弱女や交尾目的のオスや、金が無いのに子作りをしている人達」であって、独身者たちではない。

まもなく、その審判が下される。

子供の貧困
親の品格低下
などはまだまだそのほんの予兆だ。

なにも考えずに、バタバタ結婚しちゃった人達

覚悟しなさい。

まもなくではない。
すでに審判は下った。

人は皆一人で生まれ、そして死ぬ。

そんな当然の運命に逆らった「考えない、場当たり的人生」を作って、自分の人生から逃げ、「楽しく身勝手な普通」を満喫しているとどんでん返しがすぐそこまで来ていることすら気付かない。

この極めて本音で書きなぐったブログ記事が一人でも「少ない」人に読まれる事を祈っている。
なぜなら、皆が愚かで「同じ間違い」を繰り返すような生活の中でうごめくよう仕向ける老人達の子や孫は「真実に気付かない方が幸せ」だからだ。
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by masatonet | 2016-07-13 17:06 | ヒトリゴト日記

仏の顔も三度と言うが。

さて、クルマ自体の価値が高くなった2015年型プリウスだが、遺憾ながら販売店の価値は依然低いままである。
ま、外車ディーラーのようには行かないことは重々承知していたわけであるし、今回まですでに2回も新車を同カローラ店より購入していく中で、「担当の営業マンを変えて欲しい」という一家一致の意見が挙がったのは枚挙に暇がない。にもかかわらず、ズルズルと3度目のアホを続けてしまったことは無念である。
どうも、様子を見ていると、担当の営業マンだけの問題ではなく、このカローラ店の全体の問題のような気がしてならない。なんとなく、ボーッとしているのである。キレが全くない。気が抜けたビールみたく、なんだかボーッとしている雰囲気である。コミュニケーションがとにかくユルい。対応が極めて緩慢であり、まるで10年落ちのパソコンのようである。

今回のプリウスはドイツ車を真っ向ターゲットにしたようで走りが良くなったことは疑いの余地がない。300万円足らずのハイブリッドカーとしては文句無しに満点である。
内装に光沢性あるパネルを多用しているのでちょっと荷物が当たっただけでキズが入ってしまうし、リアバンバーのアンダー部分も黒色のマットなのでキズがすぐ入ってしまう。この辺りはデザイン偏重とは言えキズを出来るだけつけずに大切に使いたい私としては誠に残念なところ。

ただし、肝心のハンドリングは好調だし、燃費はちょっとアクセルレーションを工夫すればすぐにリッター30キロは叩く。車内の静寂性も高速走行もコストパフォーマンス最高の仕上がりだ。


そう、クルマ自体は素晴らしくなったわけであるが、販売店は従来のまま。サービスが向上した気配は皆無である。せいぜい無難な見せかけの値引き程度。子供騙しの粗品である。

全く本気でない。

別にベンツディーラーやレクサス販売店のような対応を求めている訳では決してない。
とは言え、

仏の顔も三度まで

6年近いお付き合いだったこのカローラは今回のプリウスを最後にお別れしたい。


今まで幾度となく営業マンの無能性はほのめかしていたわけだが、なんとか優しく
まるで親のように接してきていたが、限界である。


トヨタの新車を購入するとトヨタ本社からアンケートが届く。認識番号があるので個人を特定できるようになっている。当然オンラインでも答えることができる。


クレームをアンケートに記入するのは家人は大変嫌がるところである。また、仮に今現在謝罪していただいてもなんにもならない。今回の新型プリウス注文の際にも手違いが多々あり、それをすべて許して購入したわけだ。数万円ならいざ知らず数百万円の買い物で手違いの嵐はちょっと常識を疑う。

よって、気が進まなかったが、トヨタ自動車の新車購入アンケートには極めて正直に、となると極めて厳しい評価をつけて送信した。


その後一週間経って、いきなり夜分にカローラ支店長が営業をつれてすっ飛んできた。なんだがオドオドしてこちらに平謝り。いやいや、謝って欲しいのはもうすでに過去の事。何を今更になっていっているのか、皆目見当がつかない。アンケートの限りない低評価をそれほど気にするなら、なぜ今まで幾度も言ってきた私からの店舗への意見をすべて無視し続けたのだろうか。

う〜む。


一体彼らは何をしたいのだろうか。トヨタ自動車本社から睨まれたくないからやってきたとしか思えない。全く持って常識を疑う。そんなに自分が大切か。

もちろん誰でも自分が大切だ。
しかし、それでは高額商品は売れない。リピーターにはならない。

ちょっと、、いやかなり傲慢なのだろう。売れたらおしまいなのだろう。ゆえに本社アンケートの評価で血相を変えてすっ飛んでくる。


哀れでさえある。


新型プリウスは、売って良い店舗と売ってはいけない店舗を分けるべきだ。
そうでないと、いくらクルマの価値を今のように高めても、ユーザーが低俗な販売店によって果てしなく貶められてしまうだろう。

トヨタ決死の決断をいまここに問いたい。


クルマの価値を高めたら、ディーラーの価値をも高めないといけない。そうなると大変であろう。トヨタはビジネスホテルに一泊数十万円もするようなホテル並みのクオリティーを与える必要が生じたわけである。いやはやなんとも皮肉な話である。



メルセデスベンツの価値はまさに営業マンの価値であった。それを疑うなら新車ユーザーになればよくわかるだろう。


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by masatonet | 2016-03-27 20:26 | ヒトリゴト日記

飛翔するエコ思考

ひと昔、と言っても15年くらい前だが、外車の多くは(当方はメルセデスだったが)新型試乗をする際、販売店や代理店の人は同乗せず、あちこち乗り放題だった。さもすると一ヶ月くらい貸してくれるのが当然だった。今でも「上得意さま」にはそのようなサービスをやっているディーラーもあるだろうが。

しかし本格的な不景気になって、そのようなサービスも下火になったことは明らかだ。最低価格500万円以上が当然だった外車も今や100万円台から新車を買う事ができる。

長年外車を使っていると必然的に外車ユーザーと交流が多い。BMWやメルセデスを乗っている人達が友人にも多数いる。が、しかし、私を含めて多くは国産車へとシフトしていった。その理由は経済性である。

社用車として使うなら経費の面でも「その他の面」でも外車は見栄えが良いし、まあ結構多いのではないか。近所でもメルセデス、ポルシェ2台持ちの方々は大抵そうである。

しかし自家用となると、特に「正しい経営概念」ある方だと経済性は無視できない。修繕費や日々の燃料費は塵も積もれば山となるで馬鹿にできないのだ。

兎に角、経済性を第一優先するとまず問題になるのが「つまらなさ」である。国産車の大半が運転していて「つまらない」車であるし、事実そうであった。

メルセデスからクラウンへ買い換えた人が一度運転させてくれた事があった。

その時、痛感したのだ。

「ああ、運転は楽しくなくてはいけないのだ」と。


しかし、時代はドンドンとエコ思考へ進んで行く。そうしてガソリン倹約的な運転へ、「エアコンをつけるって!!??ガソリンがもったいない!!!」なんて日常会話になって来た。

省エネは確かにガイヤフレンドリーであるし、震災後大切な考え方である事は疑う余地もない。しかし考え方までが省エネになって来てしまう。まさしく「ノミ」である。

鉄の板の上にノミを乗せ上からフタをする。
下から火を当てると鉄板が熱くなる。
ノミは熱いので逃げようと必死に飛び上がる。
しかし上にフタがあるので高くは飛び上がれない。
その後フタを無くしても、ノミはフタの高さまでしか飛び上がる事ができない。

まあ、これが事実かどうかは分からないが、例えとしては分かりやすい。

省エネ省エネ行っていると、結局全てが省エネ的思考になって、節約一辺倒になってしまいかねない。もちろん浪費思考も大変危険だが、過剰なエコ思考、省エネ思考は萎縮につながりかねない。

自動車で言えば、スバルBRZ(トヨタ86)がそれを上手く壊してくれたと思う。エコカーだらけのここ15年来で燃費を無視した運転して楽しい車であるスポーツ車を大衆車の一角として堂々と発売したのである。フェラーリのようなスポーツ車は昔よりずっと販売され続けているが大衆的ではない。大衆車として量産スポーツカーの動向に多くが注目した。

そして、冒険的とも言われたBRZはトヨタの販売網があったからか、いやそれだけではないだろうが、省エネ社会に大きく受け入れられた。見る見るうちに方々で見かけるようになった。

建前上は四人乗りであるが、やはりファミリカーではない。運転が楽しくても後部座席に人が楽に乗れないと、まあ通勤用かデート用としか使えない。男のロマンをかんじさせるが、BRZは長年祖父のセリカ2000やXX(ダブルエックス)やらに散々乗り続けた我が家の人達には「懐かしいが、なんかちゃっちい感じ」と酷評だった。

そこにきていきなり(でもないが(笑))新型プリウスである。
デザインはかなり挑戦的だが、乗り心地やドライブフィーリングは一気にランクアップした。

あのメルセデスのドライブフィーリングと同一かと詰問されれば「違う」と答えるしかない。あのメルセデスの安定性は絶対的だし、今でも家人とのクルマの話題では「ベンツのドアは重たかった、ベンツは車内が静かだった」が一位を貫いているくらいだ。高速走行に至っては、時速120キロを超えた辺りから始まる地面に吸い付いたような走行感は今でも忘れる事ができない。

とは言っても、故障も多かった。これは当たり外れがあるのかもしれないが、「修理代でもう一台クルマが買える」は決して皮肉ではなく事実だった。

我が家のプリウスも3台目となり、ありがたい事に、今回のトヨタのTNGAには裏切られなかった。新車注文初めて「試乗せずに注文」という暴挙に出たが、カタログはウソをついていなかった。予約販売のおかげで去年の12月発売の車が1月20日過ぎに我が家に来ていた。我が家のランクルなんて大衆車でもないし、人気車でも無かったのに半年以上納車を待たされたくらいだから、いくらデザインが「ああでも(爆)」新型プリウスの注文は殺到しているだろう。

カタログスペックだけで車を販売し続ける事に限界を感じたトヨタは、今回のプリウスでドイツ的なパースペクティブを見に出そうとしている。

わかる人が乗ればわかる

なかなかうまい売り方を始めた。

高い車が良い。いわゆる高級車が良い。そんな人はどうでも良い(笑)。


新車プリウス3台目にして、はじめてタイヤのカタログを日々見ている私がここにいる。

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by masatonet | 2016-02-01 06:36 | ヒトリゴト日記
さて、新型プリウス(2015年モデル)が我が家にやって来て一週間経とうとしている。色はホワイトパール、モデルはAツーリングである。
地方都市なので、新型プリウスもあまり出回っていないと思いきや、意外とあちらこちらで見かける。まあ自分と同じ車はなぜか目に付くという現象はよく知られた事実であるが(笑)。メルセデスに乗っていた時もよく同じ型のメルセデスと出会っていたし。実に不思議な現象だ(笑)。

今までプリウスは二台新車を乗換えてきて、今回で3台目の新車プリウスなのだが、今回は特に「200万円台」の車として、まさに圧倒的なコストパフォーマンスであることは断言できる。このプリウスをさらに静音化してレクサスブランドで400万円で売っていては、正直バカしか買わない。400万円出すなら、レクサスではなくメルセデスを買うべきだ。物の価値とはそういうものである。最もメルセデスでなくレクサスを買うなら、800万円クラスからである。巷ではこの新型プリウスとレクサスを比較して悦に入っている輩がいるが、笑止。価格帯が違いすぎる。出来の悪い小学生のような比較をネット上でバカみたくする人達は、もう一度アンパンマンの塗り絵から出直した方が良いだろう。

さて、少々興奮しすぎたようだ(笑)。
まず、実際この新型プリウスを所有してみると、メルセデス所有時代を思い出させる「運転前のワクワク感」が沸き起こってくる。そして、ドライブ中の操舵感や安定感はもはや「プリウス」ではなく、なんだか別の車のような、、というと先代オーナーに悪いような気がするが、、、プリウスという名前で売らなくても良かったようにも思えるほど、見違えている。運転席のシートヒーターボタンの下にさり気なくある「助手席シートヒーターランプ」などの「異常なほどのきめ細かいインジケーター」などはどう考えても高級車のノリである。運転席からは助手席側のシートヒータースイッチが死角で見えない故の配慮だ。
それだけではない。

スマートエントリー時に「ピッピ!」と鳴り響く解鍵のビープ音をOFFに出来る。
これ、ホント何気ない事だが、この様なユーザーフレンドリー仕様などは、所謂高級車なら「至極普通」のことだが、大衆車では稀。「まあ気になっても’仕方がありません’から諦めて順応して下さい、嫌なら乗らないで下さい」という、いい意味で「諦観」、悪い意味で「妥協」が山ほど有る訳だが、今回の新車プリウスにはそのような「妥協」がない。見当たらない。
乗り心地や静音性を先代からちょっと高めて、バタバタ慌てて発売された車でない事はもはや疑う余地はない。最もやり過ぎ感もあるくらいで、車内時計の設定程度でも年寄りには困難ではないかと思えるほどにファミコンゲームのような操作が必要になる。

ナビも9インチを奢り、自慢のヘッドアップディスプレイ中にナビ情報が表示されるという、どの角度から見ても「21世紀の安価な大衆車」であることは間違いない。スピードメーターの横のフルカラーTFTディスプレイを始め、9インチナビ全画面、そしてフロントガラスに浮かび上がっているヘッドアップディスプレイの「3つの画面に全て同時に」ナビ情報が表示される。いやはや10年前からクラウン等の高級車にはそのような装備があることは知っていたが、プリウスのような大衆車にそのような「これでもか!システム」が標準装備されるとは、、、時代の流れは凄まじく早いと痛感。

話は少しズレるが、最近BOSEというアメリカのスピーカーを購入した。コンピューターミュージックモニターM2というモデルで4万円しない。一般的にいうと決して安価なスピーカーではないが、オーディオにしめて1000万円近くかけて来た人間からすると「ケーブル1本分」の値段くらい安価である。(もはや金銭感覚が崩壊しているのであって、むろんこの感覚が正常ではないわけだが)
このBOSEが、まあ、実にいい音がするのである。パッシブラジエーターが2個(左右計4つ)使われているので、手のひらに載るサイズなのに低域が気持ちよく響く。長年300万越えのイタリアのスピーカーを使っている自分がなんだが、、、、とっても悔しく(笑)なってくるほど、たかが4万円足らずのBOSEの音は良い。決して大げさではない。それくらい技術の進歩とは「恐ろしい」のである。

今回の新車プリウスは、2、300万円台の外車、特にドイツ車をターゲットにしていると聞く。ドイツ車に20年以上乗ってきた身からすると、実に挑戦的な、好戦的な売り文句だ。

そして、実際に乗ってみると、試乗でなく、所有してみると、いやはや実に凄まじい車だ。極めて個性的なフロントデザインから始まって、かなり挑戦的なリアデザイン。インテリアの質感は大衆車であるが、実に気楽で感じが良い。ビトンでもグッチでもないユニクロタッチだ。さりげない所も抜かりがない。実にニクイ、エロい仕上がり(笑)である。

そして、一度走り出すと、やはり、、


これが
ホントに
300万円しない車か!

と思ってしまうのである。たかが極東の島国が、
イエロージャップが、
小日本(シャォリーベン)が、
アジアの敗戦日本サルごときが、
やってくれるは、やってくれるは。
我ながら日本人である事が誇りに思えてくる、そんな車である。悔しかったら、この車を200万円台で「大量生産」してみろ!を世界中に叫びたくなってくる。

繰り返す。
これが300万しない車なのだ。

これが300万円でも400万円でもし始めたら、全くダメだ。
意味がない。

これにベンツマークやアウディマークがついて、もうちょっとデザインを「’独’らしく」したら800万以上するのではないだろうか。乗り心地からすると、ひと昔(5年程度より以前)の高級車である。

装備は革シートを除けば、まさにフル装備。車体全方位をキャッチする安全センサーが、街中の駐車場に入る度に「ピーピーピピ!!」と鳴り響く(当然OFFに出来るが(笑))
特に我が家はテストパイロットだった祖父がまさに「至難」ともいうべきガレージを作ったので、その中に停めようものなら、新型プリウスのセンサーがまるで「狂ったように騒ぎ立てる」始末である。先日はTFTディスプレイに赤色で「ブレーキ」!!!!!!と表示された、、それほどギリギリサイズの自宅ガレージなのである。後にも先にも、40年以上使う自宅ガレージで衝突用安全センサーが作動したのは初めてだ。そこにクラウンやらセリカやらメルセデスを停めていた訳だから、もう誰もが驚愕していた訳だ。

とにかく、
輸入車は総じて覚悟しなくてはならないだろう。

何を覚悟するのか。
高い物が即ち良い物である時代は終焉を迎えたのである。
「迎えようとしている」のではない、「迎えた」のだ。
いつまでも高く売れば見栄で買ってくれるほど、「審美眼」持った金持ち達は優しくはない。

価格破壊とは100円ショップのことではない。
価格破壊とはまさに「200万円で買える高級車の質感」である。

研究開発費を世界一かける企業が本気になった。
日本の自動車業界の夜明けが、この新型プリウスを機に、まさに始まろうとしている。

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by masatonet | 2016-01-28 22:50 | ヒトリゴト日記
試乗を2回に分けて、日中と夜間にやってみた。
走り。もう出だしから違う。いわゆる「プリウス」ではない。粋なエコスポーツカーにダイナミックに変身してしまったようだ。モッサリした感じは一掃された。先代までのプリウスとは別の車になってしまった。そう「しまった」という表現が適切なのだ。
穏やかなのんびりした「エコしましょ」という雰囲気が充満したプリウスというイメージ。それはほとんどなくなった。「運転する車」への第一歩。目的が運転そのものになっても大丈夫そうな、そんな感じである。
「ヒトやモノを運ぶ車」
から
「ヒトがモノを運ぶクルマ」へ進化した。
私が言いたいポイントは新型プリウスは「主語」を作ってくれそうな車なのだ。その「主語」とはヒトであり、それはつまりドライバーである。
「車」が隠れた主語、いや「メーカー」が隠れた主語になることほど不幸で寂しいことはない。国産車は性能はいいのだが、ヒトが主語になりにくい。外国車、特にドイツ車と付き合うと、ドライバーの主体性を考えさせられることが多かった。確かに車内居住性は国産車に比べると劣るが、ドライバーあっての車であることを常に主張してくる、それが筆者の知るドイツ車だ。

ヒトとクルマのあり方に「このクラス」の車が新しいコンセプトと共に挑む。いや「このクラス」だから出来るのかもしれない。メルセデスであっても、AクラスだろうがSクラスだろうがコンセプトが一貫している。ドライバー主体である。日本車でしかも最大手のTOYOTAがTNGAという新コンセプトと共にそれを始めたことにまず拍手を送りたい。また同時にTNGA第1号機としての新型プリウスがまさに成功したことを喜びたい。この調子でクラウンやハリヤーなどといった同社のクルマに近い将来「主語を与える21世紀のトヨタ車」としての冠を授けてほしいものだ。

カタログにあった「ボタンからジッパーへ」は実にうまい例えだ。洋服でもボタンホックだとグラグラするがジッパーだとしっかり止まる。足回りがかなり違っている。
カーブでも、先代までは路上を滑っていくような心許なさがあったが、新型は地面をしっかりホールドしている。ハンドリングが明白に違う。当然なことだが、カーブを曲がってるという感覚がハンドルから伝わってくるのが新型であり、先代まではカーブの曲がりを体で感じているという感じだった。

また、メルセデスの安全性能に正面から挑む姿勢。ベース車価格200万円台でどれだけセイフティセンサー搭載のアピールが出来るのか。
まずバックミラーに搭載された「ブラインドスポットモニター(BSM)」が実によく反応する。車線変更等ミラーに目を向けるとピカピカとランプが点灯する。夜の走行ではかなり重宝することは必至だが、日中でも非常に便利だ。

車内の静寂さも先代とは比べ物にならない。まあこの点は先代がまるでダメだったので比較の対象が悪いことは否めないが、メルセデスにあるような気密感こそはないものの、ドアの閉まる音などはクラスを超えた良い感触がある。言うまでもないが高級車のようなドアの演出ではない。先代の「ベコン」というドア音から「ボム」というまとまった音に変化した程度だが、プリウスという車重と燃費の関係が厳しいクルマによくここまでドア音のチューニングができたなと思わずニンマリしてしまった。


残念な点は、やはり想像通りだが、デザインが良くなった点と相反するのだが、後部座席のドアが狭いことだ。一端車内に入れば後部座席そのものは狭さを全く感じさせないのは実に素晴らしいのだが、乗るまでが少し狭い。ただこれも慣れの問題だろう。座席そのものは先代とは大きく違って、シートに包まれる感じに好感が持てる。運転席、助手席はシートヒーター付きなので冬でもホカホカである。このシートに包まれる感じはスポーツ車に多い演出だが、今回新型プリウスで、まさかそれを感じるとは驚きだった。

また車内はセンターコンソール周辺の「ホワイト加飾」には賛否あるだろうが、個人的にはそれほど違和感はなかった。ダッシュボードが気さくなデザインなのはまあプリウスらしいのだが、グローブボックスとサイバイザーがすこしちゃっちいのが残念だった。特にサンバイザーの安っぽさには閉口した。まあプリウスだから、気楽さを優先しようと。。。(笑)

祖父と幼児期から新車を選び続けて、子供の頃からチェックしてきた重要ポイントに

1、ダッシュボードの質感。
2、グローブボックスがオープン時に「スー」と音無しに開くかどうか。
3、運転席と助手席の間にあるセンターボックスの蓋を閉めた時の音の質感。
4、シフトレバーとダッシュボードの統一性が上品か。

等々。
この辺りはプリウスクラスの車には求めてはいけないと思っている。
逆手をとって、この辺りを無視することで、「気楽」にクルマと向かう演出も可能だろう。

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by masatonet | 2015-12-22 20:51 | ヒトリゴト日記