人間のためのユビキタス

kiyotakabiさんからのメールより。21世紀の障害者福祉にとって避けて通れないものが「ユビキタス」です。
そのことに関して、興味深い記事がありましたので記載致しました。

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朝日新聞の文化欄、ヒト科学21の今月分記事が興味を引いたので。
執筆は、西垣通(情報学専門)、
タイトル「人間のためのユビキタス」。
ご覧になったかしら。

一応、梗概、今のパソコンは、保守労力まで含めると、?。
保守やサービスまで面倒を見ない限り、パソコンは大衆向けの機会にはなり得ないだろう。
(これは、一旦壊れると、手の付けられない現状を、パソコンの持つ特性、デジタルに着目しての意見。)
これから敷衍して、ユビキタス化された生活の危険性を指摘しています。アナログのように微調整の効かない装置が、遍在してしまったら、思わない事故が発生する危険性を負わなければならない、と言う趣旨でした。

話の振りに使われた、
使用しているパソコンが壊れたので、何も出来なくなった、と言う以上にファイルの救出が大変、と言う自身の事例は、本人が情報学専門だったりするので、笑っちゃいます。

でも、このへんmini にも関わることなので注意。
PC は、未だに、一般家庭に入り込む道具とはなっていないのが現状。TV は、画面があって、そこに風景があるので、箪笥のようにでかくても、部屋を圧迫はしなかったのみでなく、
かえって広く感じさせていたものですが、PC は、邪魔になっている。
mini は、その打開になる可能性を持っていると思われます。(キューブもそうだったでしょうに、打ち切りは残念でした)求める人が少ない、と言う見通しは、どうでしょうか?

コンピューター操作者にとってでなく、家庭生活者にとって。マーケティングの正否にかかっていると思いますと、保守の体制に。
先般発売された、ツーカーのユニバーサルデザインの携帯電話ブログで見ると、画面さえないことに否定的な意見が多く見られます。しかし売れてます。携帯電話使用者は、自分の既に使用している形態で発想しますから、あの画面が不便だ、と言う視点に気が回らないのですね。というか、ものによっては、決まったところにあるから便利、と言う点にも。
電話もそのうちの一つだって。
(例えば、視覚障害のある人にとって携帯電話は利便性があるか、とか)

あと、
知見、情報の保存の問題も大きなものがありますね。デジタルは、劣化が少ないとは言われてますが、メディヤの変遷は予想がつかなく、未来に再生可能の保証はなく、不安があります。結局は、共時の伝播が、無限に可能というだけなのかも。
(HTML形式のメールは、ネチケットにもとる、という的外れな言い分も、思い出されます)
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by masatonet | 2005-02-06 13:56 | 掲示板